80年代~90年代中頃にかけてのおまじないブームの中では、
白魔術と黒魔術という分類が強調され、とにかく悪魔と欲望に関わる
悪しき黒魔術だけは避けるようにという説明で終わっていました。
当時の色々なオカルト文献を見ても、殆どが「悪魔や闇に関わるものは
黒魔術=悪」という分類法が前提にあり、左道魔術・右道魔術と厳密に分類し、
そして単に黒魔術として一緒くたに分けられていた、左道魔術といわゆる
サタニズムの違いについて踏み込んで書かれていたのは、流智明氏と
星智教団(こちらも既に解散)だけであったように思いました。
一般的に黒魔術と認識されているのは、サタニズムのイメージの方であり、
中身や実態が本当のところ、殆ど知られていない左道魔術とは全く違うという
印象を受けます。
ネットの魔術に関する質疑で、「私は神の愛について知りたいから魔術を行う、
悪魔を呼び出そうとは思わない」という方と、「悪魔を呼び出さない」というその言葉に
賛同されている方々がおられ、とにかく魔術の中でも悪魔や闇に関わらなければ
自分が安全圏にいると錯覚してしまう場合がありますが、右道魔術でも霊的な
作業には必ずわずかでもリスクが伴いますし、また左道魔術の闇の径(パス)を
無視して右道魔術を進めようとした所で、どこかで行き詰まりや、現象界に
厳然と存在する矛盾から目をそらし、表面だけを回り続けているだけのような
気持ちの悪さ、欲望を自分の中で適当に善悪に分け、世俗的な「善い」願望を
叶えるとか、望むエネルギーを受け取るなどに終始し、中途半端にどこかで
自己決着をつけて終わってしまう、そのような結果になってしまうのではないかと思います。
また右道魔術ではカバラの「生命の樹」が重視されますが、これも実は左道魔術で
重んじられる「死の樹」と表裏一体の関係にあり、「死の樹」を知らずに「生命の樹」
だけを学んでも、全体の理解の半分にしかならないようです。
この「死の樹」では、「生命の樹」の王冠が最下部となり、「無神論」に相当します。
「生命の樹」にそれぞれの神格が当たっているように、「死の樹」にもそれぞれ
悪魔が当たっています。
これから何度かに分けて左道魔術の技法を紹介させて頂きたく思います。
これらの技法はまた、左道魔術師やサタニストが右道魔術の祈りや召喚を
反転させて使うように、左道魔術の祈りから、右道魔術への転換も可能なはずですので、
その召喚しようとしたり祈りを捧げようとするものに対し、よく調べて言葉を配置して
運用する事も出来ると思います。
左道魔術について以前私的に実験した事がありましたが、
かなり強烈な効果をもたらすものであり、性エネルギー昇華や他の右道魔術でも
そうなのですが、特に左道魔術を行う場合は、精神的疾患があったり、精神的な病の
自覚症状があったり、他者からそのように指摘されたりしている時は、場合によっては
発狂のリスクさえあり、非常に危険ですので、見合わせて頂きたいと思います。
また、妊娠中や新生児がいるような場合も避けるべきであるようです。
こちらは、左道魔術を行う事に対する、星智教団の言葉です。
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事実、魔界探訪の果てに、2度と現界に戻れなかった者は多い。
生ける屍(しかばね)と化し、精神病院に余生を送る未熟者を教えても仕方がないが、
最初に警告しておこう。
我らの目指すは究極の「暗黒魔術」である。
世俗に流布する妖術師の「黒魔術」ではない。
今やその意味も知らずにベェルフェゴールを呼び、サタンへの祈りを捧げる愚か者が
増えているが、智者の赴く「闇の左手」とは、混沌(カオス)の階級構造を知り、
変転する力学を操り、宇宙に「意思」の芸術を織りなす技である。
それゆえに、日常世界の雑事に魔術を使うのは、愚の骨頂。
「暗黒魔術」は光と「闇」の神殿たる全宇宙に、己の自我を広げ、
めくるめく快楽のうちに光の王冠をかぶり、「闇」の水底に足を突く、
宇宙大の巨人たる、「原初の人」の力と権能を備えるのだ。
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【闇のカインの智恵を求むるカインの召喚の祈り】
これは「逆五芒星の術式」を御存知の方は、それを使用してこの祈りを行ってみることも
出来ると思います。
いわゆる「カバラ十字」は左道魔術師はあまり使用しませんが、
それを行ってから召喚の祈りを唱えるなどの実験も出来そうです。
★「ナーマー。ニエム ラ マラルル。
アト フコーブ フスト オオ アル イハク オオ
アトオフクラム イア フクルイドエド リトディム
アーセエブ ニム ナクカプ ライル
アノオヤ スシンル ナルレエト アル オオ
ネエウ アヤークル ナククィウシュ ナナク アプド アナキエ
ニエブ オーク ナル クゥオオウシュオ
アナムオオイ ナンアクノオスド アムフクラ ナル ワー
ハラブ パ。
アイアム フシブド アナケ イエ
フクナイ ウィク ヘウ ヒン。
フクトオク ラム ヘト ヒト
フクム ミース フサドダック フティン アイアム フシブード ノヴァ。
おおカイン、いにしえに誉れありし者よ、我汝を熱く願いたり。
鍛冶屋に対し槌を打ち当つるによりて、汝のまことの父の如く太陽を昇らする
アザゼルの光の輝きは散じたり。
汝いにしえの悪魔なり、太陽と月の守護者よ。
我が命運の智がもたらされんと、我汝を呼び求めん。
原初の魔女なる父、サバトの光にとどまりし者、角ある暗黒の主のそのみ前に
我はおのが定めの鍛冶をせん。
おのを限らざるものよ、我が天使にして悪魔なるに覚醒を与えたまえ!
かくあれかし!」
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「仙谷長官、「専業主婦は病気」発言」
仙谷由人官房長官が4月の子育てシンポジウムでの講演で、
「専業主婦は病気」と発言していたことが27日、分かった。
仙谷氏は同日の記者会見で「そんな表現をした記憶はない。
男性中心社会の固定観念が病気であると、絶えず申しあげてきた」と釈明した。
幼稚園情報センターのホームページによると、仙谷氏は4月26日、
全国私立保育園連盟による「子供・子育てシンポジウム」で講演し、
「専業主婦は戦後50年ほどに現れた特異な現象」と分析。
その上で、「(戦後は女性が)働きながら子育てする環境が充実されないままになった。
もうそんな時代は終わったのに気付かず、専業主婦という『病気』を引きずっている
ことが 大問題だ」と発言した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
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過去にも「 男女共同参画 」は、旧ソ連政権下でも行われていた・・・
レーニン治世下のソ連では、マルクス思想の
「女性の解放」の名のもと、女性の社会参画を 積極的に推し進めた。
(実際は、革命を阻止しようとする外国勢力に対抗するため、
生産力をあげる必要のため、国家総労働者制を行う必要性もあったのだろう )
ところが、女性の未婚率の上昇に伴う少子化だけではなく、離婚などによる家庭の崩壊、
犯罪の 多発など、社会の基盤までが崩れそうになってしまい、
レーニンの跡を継いだあのスターリンでさえ、家庭を重視する政策にその方針を
改めざるを得なかった。
そのマルクス思想に基づいて、政権の中枢に入った学生運動世代が男女共同参画を
行い、少子化対策までも巻き込み、革命、崩壊への道を爆走しているのが今の日本。
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左翼は、人は男も女もなく労働者であるべきと考える。
子供は親から取り上げて国家が育てる。
国に都合が良い人間に育てるためだ。
北朝鮮、カンボジア、ソ連など共産国で広く実施され、 そして例外なく失敗した。
子供は工業製品ではない親等の愛情がないとまともに育たないのだ。
それを今になっても追いかけているのが日本の左巻き。
専業主婦を敵視し配偶者控除をなくそうとか
フリーセックス奨励、堕胎奨励、戸籍廃止など家庭を解体を企み続けている。
今回の仙谷の専業は社会的病理だとの主張もその思想の現れで、単なる失言ではない。
人間社会は経済活動によってのみ継続されるのではない。
円満な家庭の営みの大切さを解さない左巻きに社会を任せてはならない。
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仙谷の主張は二重三重に問題がある。
まず、多様な生き方が認められつつある現代において
男女すべて労働者であるべしという共産国で失敗した価値観を押し付けている事。
次に15年も前に子育てと会社勤めの両立環境が完備したなどという一般常識との乖離。
そして経済常識の欠落。
インフレ物不足であれば主婦も生産供給にとの社会要請は合理的。
しかし、デフレ物余りの今、主婦を労働者にするのは困難なうえ、
失業率の悪化、賃金の低下、需要の減少を招きデフレスパイラルを加速する愚策。
いいかげん社会主義への幻想は捨ててくれ。