元々、オランダ静養への布石は1年も前から小和田家では検討されていました。
何とかして雅子様に海外へ行ってストレスを発散した欲しいと思うご両親は、雅子様の好きそうな国を色々考えたのです。
最初はスイスでスキー三昧と思いましたが、年末年始は皇室行事が多い為、夏がよろしいだろうと思われました。
そうなってくると、小和田の父君が赴任されているオランダが最も適しているし、向こうで親子水入らずの時間を持てば「マイドーターイズプリンセス」を周りに実感させることが出来るだろうと・・・そんな風に父君はお考えでした。
皇族は相手方の「招待」がなければ外国へ行く事は出来ません。
その為、父君は長い時間をかけ政府を説得し、小泉首相に対しては高飛車に出て、オランダへの資金援助とその見返りとしての静養を取り付けました。
オランダのベアトリクス女王は、大そう雅子様に同情され、快く「ヘッド・アウデ・ロー」城を2週間もの間、お貸し下さるとおっしゃいました。
けれど、ひそかに小和田傘下の外務省職員と首相側近の間であうんの呼吸で進めていたものの、さすがに宮内庁はこの静養に反対しました。
「皇族が遊びで海外へいくなどとは考えられない」
「なぜオランダなのかわからない」
「国内の公務はされないのになぜ外国なら行けるのか、整合性がない」
という理由です。
しかし、そんな宮内庁幹部の反対をほぼ無視して、小和田の父君のいいなりになったのが野村一成東宮大夫です。
彼は外務省時代、父君の部下として働いており、雅子様とも顔見知りの仲なので、東宮大夫に就任した時から、ほぼ何でも雅子様のいいなりでした。
オランダからの快諾はあったものの、それは内側の話で、野村東宮大夫はこの事を両陛下にご報告しませんでした。
報告したら潰されると懸念したのでしょう。
日程もどのように決めたらいいかと思案しました。
7月から8月の間、愛子内親王の幼稚園の夏休みを利用。けれど、7月には那須への静養が入っているし、そうなると8月。
8月は6日、9日、15日を外さなければなりませんでした。
というのも、両陛下のご意向で6月23日、8月6日、8月9日、8月15日は静に過ごすように厳命されていたからです。
とはいえ、雅子様は終戦記念日にテニスをした事もありますし、戦争の記憶など雅子様にとってはどうでもいい事でした。
とにもかくにも15日を避けると、出発は8月17日となります。
実は8月17日はかなり重要な日でした。
それというのも、戦前、日本が占領していたインドネシアが、日本軍の撤退と同時にオランダに占領され、独立運動が起きました。この戦いには元日本兵も多数参加しており、以後、インドネシアは親日となり、オランダは反日となりました。
その記念日が8月17日なのです。
オランダには、まだ日本への根強い反日感情を持つ人達もいました。
そんな国から恩を受けるというのは、本来であれば国益に反する事なのですが、そんな事は小和田の父君は最初から承知。
そもそもが「日本は永遠に戦争犯罪人として謝罪し続けるべき」と独自の理論を繰り広げる小和田閣下は、オランダに頭を下げることなど簡単な話だったのです。
6月23日、おりしも沖縄が負けた日に、野村東宮大夫はオランダへの静養を正式に発表したのですが、両陛下にとってはね耳に水、が、決まった事である以上、裁可せずにはいられませんでした。
8月13日 両陛下に挨拶
笑顔で参内して来た雅子様を見て、両陛下は複雑な気持ちになりました。
「決して失礼のないように」とだけ言われましたけど、雅子様はほとんど聞いていませんでした。
勿論、出国前の祭祀も雅子様は行いませんでした。
そしてこの日、実は小和田のご両親も帰国していたのです。
皇室内は、実はかなり大変な事態になっていました。
秋篠宮妃の紀子様が「前置胎盤」と診断されたのです。
ご懐妊が発表されてからも普段通りの公務を続けてこられた紀子様ですが、ここにきてとうとうドクターストップがかかってしまったのです。
一歩間違えれば大出血を起こして死んでしまうかもしれない。
しかも高齢出産という事もあり、宮内庁も宮家も緊張状態です。
8月16日、紀子様は愛育病院に入院されました。
いつもはお付き添いなどなさらない殿下がご一緒である事から、相当厳しい状態なのだと言う事も感じられました。
秋篠宮ご一家は万が一を考え、ご一家で記念写真を撮られる程だったのです。
しかし、この事に対して女性週刊誌は「16日はオランダに出発される前日。この日にわざわざ入院して雅子様にご心配をかけるなんて紀子様は配慮が足りない」と書き立てました。
前2回出産時とは明らか違う体調に紀子様自身が戸惑われ、その辛さに涙を流されたというのに、週刊誌が追い打ちをかけ「もし男子が生まれても皇位は愛子様に」とか「男子を出産する事が嫁の使命とは古すぎる」とか様々な形で秋篠宮家に対し誹謗中傷を繰り広げます。
そのご様子にポーカーフェイスを貫いていた眞子様の心情、まだよくわからないけど、悪口を言われているような気がしている佳子様を思えば、秋篠宮両殿下も何か言い返したい所だったでしょう。
しかし、紀子さまの入院で言い返す事も出来ず、ただただ母子共に健やかにと祈る事しか出来ません。
紀子様にとっては長い半月の始まりでした。
しかし、そんな秋篠宮家の事情などみじんも気にすることなく、雅子様はオランダへ行く事を楽しみにしていました。
今回は公務ではないので一般機を使います。
随行員は20名近く、その中には大野医師や美容師までもが付いてきます。
一般機のファーストクラスを貸切り、ビジネスクラスもいくつか抑え、同乗する一般客にはかん口令を敷き、どこまでも「雅子様ファースト」です。
愛子様の状況もみなに見られてはいけませんので、ファーストクラスにはカーテンが敷かれ他人をシャットアウトしました。
費用は総額1億円。
内廷費からは出せないという事で、東宮家からお金を出す事にしたのですが、実際は機密費に手をつけたと言われています。
2006年8月17日 オランダへ出発
颯爽と現れた東宮一家は、ラフなスタイルで愛子内親王のピンクのワンピースがとても可愛らしい・・・これが一般人であれば誰も何も言えなかったのにと。
内親王にとっては初めての外国です。
空港で見送りの宮内庁関係者に挨拶をするご両親を無視して、無表情のまま。
さすがに雅子様がお辞儀をさせようとしたのですが、内親王は決して頭を下げようとはしませんでしたし、一言も何もおっしゃいませんでした。
そんな内親王を笑って見ている皇太子様に陰でため息をつく随行員もいたのです。