ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

後藤健二母会見全文2

2015-01-24 09:00:50 | ドラマ・ワイドショー

それから日本は・・・私の父は・・あのー軍人です。

朝鮮・・とか、そういう所のあのー・・

今ちょっと言葉が出ないのですがかなりの、

トップだったと思います。それで私はいつも

軍用車とそれから三角形のひらひらする

はたのある自動車で送られていました。

ただ今は私どもは・・ただ今はですね、写真を見ますと、

その時に私のおじいちゃんなるもの、

教育者なんですが、その人が本当に自分の姿で草履ばきをはいて私の、

朝鮮馬山の宿舎へ訪ねて来た。

私はつい最近まで、おじいちゃん、なぜそんな恰好で朝鮮へ来てくれたのって、

恥ずかしいじゃないって、そういうような思いをした事がありました。

しかし、最近、わかった事は、ちゃんとした格好をしてくれば家族とか、

それから回りの人々に反対されたんだと思います。

それで一目、息子に会いたかったその一心で海峡を渡ってきたと思うんです。

私も、そういうせつない親の気持ち、そういうのが現在はわかると同時に

全ての地球上で住んでいるお母様がた、どういう気持ちでいらしゃいますか。

一生懸命母の手で育ててそして戦争にやる・・

こういう事も少しも考える方はいないと思うんです。

戦争はやめていただきたい。

おいしい白米から麦ごはんにかえたとしても、

それは母たちの喜びだと思うのです。

どうぞ、皆様のお力で健二の命を救ってください。

ただ。私は自分の子供の事だけを言っているのではないのです。

子供はユニセフとかそういった子供達のことを非常に考えておりましたので、

今度命あってかえるならは日本は、

のみならず世界中を回ってやはり次世代を担う子供達の教育にも携わって頂きたい。

そして原子力のない、国を作って頂きたい。

そんな言葉をかけてやりたいと思います。わが身を捨てる事ですね。

つまり。

今のお話は生意気かもしれませんが、健二のした事は、

つまらない事と言われるかもしれませんがしかし、

生まれて2週間も満たない赤子をおきながら同胞、日本人の方の救出に向かったんです。

ぜひとも、そういう優しい気持ちでいったのではなく、

もっとイスラムに対しても違う感情があったと思います。

それはなぜかと申しますと、捨て身で行ったという事ですね。

という事はやはり、イスラムの国、そういう事にも

いろいろと会ってお話をすれば

わかりあえる地球人だと判断したからだと思います。

どうぞイスラムの方々も、日本人はみんな好意的に接していると思います。

私こんな事をこんな場所で、このような場所でお話をさせて頂きまして、

これほど、海外のジャーナリストの方々・・が、

捨て身で息子の為にやってくださっています。

そこから想像するならば、

きっとイスラム国の中でも、そういう方は、一杯いらっしゃると思います。

その時はぜひ日本に申し出て下さい。

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後藤健二氏母会見全文 1

2015-01-24 09:00:34 | ドラマ・ワイドショー

 頭くらくらしたけど書きおこし。まるで鳩山さんが喋ってるみたい。

後藤健二氏の母の記者会見、答え方だけ書き起こしました。

1時間14分。

 

本日は大変お忙しい中を貴重な時間を取って頂いた事を感謝申し上げて

一生忘れません。

私は石堂順子と申します。

ジャーナリストである・後藤健二の実の母親でございますが日本国民、

そして日本政府の方々、そしてここにお集まりの方々に感謝とご迷惑をおかけしますことを

お詫び申し上げます。

私はこの三日間、私の身近にどのような事がおこっているのか

まったくはかりしれませんでした。

そのためにみなさんに大変。おいしそがしいなかをご迷惑をおかけしてますこと

心よりお詫び申し上げます。

昨日ですね、あの、健二の妻である嫁と初めて電話で交信致しました。

で、ききますと、嫁が聞きますと・・にききますと二週間前に赤ちゃんが生まれたそうです。

でわたしはびっくりいたしました。

うまれたばっかりの2週間しかたっていない子供をおいてなぜ遠い所へ行ったのですかと

質問しました。

そうしましたら先にあの・・拘束されている知人の・・・を助けるために

救出する為に何が何でもという形で飛んで行ったてしまったのだと申しました。

その私は感じましたのですが、この地球は大切にしなければいけない。

たった一つ、私どもの為に神がつくってくださいました、

自然がつくってくださいましたものを、なぜその貴重なプレゼントを壊すのか

私にはわからないのです。

原子力を使い、地球を汚し、大気圏も汚して、そして何を求めようとするのか

私には全然わかりません。

で今日こうやって皆さんにお会いする事も、どこで聞いたのか。

私の近い所からはこの会見をやめるようにと電話が一杯はいっております。

しかし、それは間違いだと思います。みなさんがお忙しい中、

人類の為にそして身近ではあたしどものつたない息子の為に、

お忙しいのに時間を作って下さったものですから感謝を申し上げる、

これは当たり前ではないかと思いまして、電話を無言で切らさせて頂きました。

私はこの三日間、ただただ何が起こっているのかわからず、

悲しく迷っておりました。けんじはどういう事も出あったかと申しますと、

小さい頃からそれもまだよちよち歩けないころから、

幼い、そういうお友達がいますといつもいつも心優しく接していた子供です。

ですから自分のところにまだ出産したばかりの奥さんをおいて、

そして生まれたばかりの乳飲み子をおいてでかけていったのだと思います。

昨日、その奥さんと名乗る方と初めて電話で交信致しました。

そして私が驚いたのは赤ちゃんを産んで2週間にもまだたっていないという事なんです。

私はけんじに憤りを感じました。

なぜそんな乳飲み子を残しながらいくのかということ、友達が友人がといっても

その2週間しかたっていない子供を守ってあげるのは親しかないじゃないですか、

心優しい子、正義感に燃えている子と申しましても、

なんかそこのところがちょっと解せませんでした。それともう一つ・・・

私は不思議でならないことがございます。

それは自分達の地球を自分たちの手で壊すという事です。

原子力・原子爆弾、そういったものを研究して私どもが感謝しなければいけない

地球を壊していく、

そしてそこで生活している弱者を悲しみに落とし・・落とし穴につっこんでいく。

そのエネルギーがあったら世界平和の為に、

そしたらそれから、これから地球を守って行く、

そういった課題になる、将来をかかえた子供達の為になるような原子力であり、

考えをもつべきだと非常に思っております。

で、私が今こみあげてくる涙を隠しておりますが、そのまま語っておりますが、

それは先程申しました原子力の問題です。

地球をダメにする、お水もダメにする、全てをだめにする、

それを一時の感情でドンパチやるということ、それをぜひ阻止しなければいけないと、

そのように思います。もし、私の命がそれでそういう原子力とかのいい方の活用じゃなく

方を・・の為になるのであれば私は私の命を失うという事を全くいといません。

それはこの席ではっきりと申し上げます。

 

あのーイスラムの方々も私どもと一緒に地球の平和を考えて、

素晴らしい地球は作れるのであれば

私の命などはどうなっても

よろしゅうございますので、

それと私はあんまりあのーいい頭を持っていませんので、

ぜひ皆様方からお知恵を頂ければ嬉しいと存じます。

そして、イスラムのみなさんに申し上げます。

健二はイスラム国の敵ではありません。

釈放を願ってそして、イスラムの・・単身で渡った子です、

イスラムの国と一緒に恨みつらみはやめて

いい地球を作っていただければ

ここにお集まりのみなさんも、

全員の方々がそのような願いであると私は信じております。

 

お忙しい中を本当にこのような席を作って頂いてありがとうございます。

私の命で替える事があるのであれば私は自分の命を提出する事に

なんの抵抗も感じませんので、ぜひ健二は正義感の強い子供ですから、

釈放していただきました。もし、そういういい結果が出ましたら、

きっと地球の為にも子供達の為にも未来の為にも尽くしている

子供だと・・尽くしていける子供だと思います。

どうぞ、健二はイスラム国の敵ではなく

お友達・・自分の2週間しかたっていない子供を置いてまでは・・・も、

イスラムへ渡った人間です。

日本は随一の被爆国ですが被爆のあとも、

その地球は惨憺たるものでした。

こういったものは私の命と代えるのであれば

私の命なんてものは粗末なものでございますので、悔いは致しません。

地球を大切にして頂きたい。私はそれを願っております。

 

あのー健二は大変親思いの子供でございましたので行く前には

私の所には連絡はありませんでした。

それはやはり一つは心配をさせたくなかったこと、

もう一つは自分の同胞がとらえられている、

そこへ行くという事は反対されるという思いだったのだと思います。

でも私はそういう事に対して反対する親ではございませんので、

今日もですね、あの、私の、知人、親戚から非常にこの場所に電話を貰っております。

なぜ・・この・・会を出席数rの科、それをやめろという通知でした。

私はここに集まって下さいます方々は

全てお一人でも私と同じ考えを持っていると思うのです。

自分だけの利己的な幸せ、

そういう事ではなく世界中の方たちが生活している

この地球を守ること、そういう事を願っていると思いますのでそういう

お話は全部断ってまいりました。

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公務分担と正しい受け答え

2015-01-23 07:30:00 | 皇室報道

 どんな受け答えも、裏付けがあって初めて生きるものだと思います。

 

 天皇陛下の公務・・分担 

 風岡長官の定例会見

 両陛下が行ってきた「子供の日」「敬老の日」にちなんだ施設訪問 

 子供の日 → 皇太子夫妻

 敬老の日 → 秋篠宮夫妻

 に分担。来年度もそれでいくかは未定。

 正直言って、この二つの公務は、両陛下が行って来た・・・という意味からすれば

  二つとも皇太子夫妻に引き継がれるべきものと思います。

  それが出来ず、秋篠宮家に半分受け継がせるというのは、都合のいいように

  宮家が使われているだけなんだと思います。

  (だって東宮家はほとんどお仕事がなくて暇なんですもの)

  子供の日の施設訪問。

   絶対に皇太子妃は行かないでしょうし、無論、愛子内親王などは想定外でしょうし。

 だけど、来てもらう側の気持ちになった事ありますか?宮内庁?

 子供の日、敬老の日の施設、それに携わる方々が皇族を迎える為に

  どれほど神経を使って準備し、そうそうの内容に迎えるか。

  今までは両陛下だったので、最高の礼をとればそれなりに黙って受け入れて

  もらえたけれど、

  皇太子の公務になれば、ドタ出ドタキャンへの配慮、ルーズな時間配分

 箝口令に名札着用・・・・とうような

 はた迷惑な事になりますよね。

  一方、老人施設から見たら両陛下という「最高位」の方が行ってきた事を

 内廷外皇族に代わることによって、気楽な感じになる・・・といったら言葉がよすぎで

  「格落ち」のような気になるのではないかと。

 子供・老人そのものからしたら秋篠宮夫妻の方がよっぽどありがたいと

  思うだろうし

 どうせ格落ちさせるなら、いっそ眞子・佳子内親王に公務を振り分けるべき。

  若くて美しい内親王が来た方がよーーーーっぽどみんなありがたいですもの。

 両陛下も宮内庁も「公務分担」というものに関して、甘く見すぎているのでは。

  「権威」を失えば皇室の価値もなくなります。

  秋篠宮夫妻に皇太子と同等の権利を与えなければ、本来「最上位」の公務すら

  軽くみられるでしょう。

  今後、こういう形で公務を振り分けたら、日本は「お察し」したとして海外では

  どうでしょうか

 タイも同じような問題を抱えていて、海外訪問はほとんどシリントン王女が

  こなしています。シリントン王女は王位継承権があるとはいっても

   じゃあ、ワチュラロンコン王太子と同格なのかといえば、そうは言えないわけで。

  この中途半端な「格」が海外でのシリントン王女の扱いに出ているのではないかと。

  私は秋篠宮夫妻に、そのような思いはさせたくないと思っています。

 

 紀子様、佳子様、キルトフィスティバルへ 

 22日、紀子妃殿下と佳子内親王は「国際キルトフェスティバルに出席

 紀子妃 「どれくらい(制作に)かかりましたか

   佳子内親王 「素晴らしい。とても温かい感じがします

 紀子妃が「どれくらいかかりましたか」と聞いても全然不思議に思いません。

  なぜなら、紀子妃にとってキルトフェスティバルは毎年来ている公務であるし

  パッチワークなどにも造詣が深くていらっしゃるからです。

  紀子妃 「どれくらいかかりましたか」

  製作者 「〇〇ヶ月くらいです」

  紀子妃 「デザインはどなたが?この部分はどれくらい?」

 と話が弾んだだろうなと思うからです。

 雅子妃が東山魁夷の絵を見て「どれくらい?」と聞いても、

  「ああ、興味ないんだな」と思います。なぜなら、多分、その後の会話が

  続かないだろうなと思うからです。

映像を見れば同じ「どれくらいかかりましたか」でも、大きく印象が違う。

 決して私の考えすぎではないと思います。

 

  北白川祥子さん死去 

 1月21日、北白川祥子さん死去。享年98歳

 元女官長。平成からは皇太后宮女官長。

 常陸宮華子妃の叔母

 私の年代であれば、北白川さんといえば「女官長」というイメージでした。

  いつも香淳皇后に仕えていらっしゃいましたので。皇太后宮女官長として

  香淳皇后をお世話されていました。

 北白川家は伏見宮系の「世襲親王家」の一つです。

  3代目の成久王が明治天皇の娘と結婚。

  二人でヨーロッパに留学中、自動車事故で成久王が死去。

  悲劇の宮家と呼ばれる。

 4代目の永久王に嫁いだのが父が徳川家、母が津軽家の祥子妃殿下。

  臣籍降下するまでは皇族でした。

   そして図らずも昭和天皇のお妃候補の一人。

  祥子妃の娘、肇子氏は今上のお妃候補第一号でした。

  そして5代目の道久王(彼は紀宮の結婚式で斎王を務める)

  のお嬢様二人は皇太子のお妃候補でした。

 北白川家に白羽の矢が立った時、本来は誰もが「この方こそ東宮のお妃」

  と思ったようですね。だけど、戦後で生活も苦しい時代であった事もあり

  北白川家から辞退を申し出た・・・・と言われています。

  元皇族の方々は正田家の洋館を見てどんな風に思われたでしょう。

  美智子さんのゴージャスなドレスや海外旅行を知って、どんな風に感じたろうかと。

  そして現東宮のお妃候補に挙がったお二人もあっさりと候補の外へ。

  血筋もその続き方も元皇族の見本のような北白川家。

 元妃殿下を女官長として見た時。皇后陛下の心にどんな思いがよぎったろう・・・

  などと、 想像をたくましくしてしまうのでした。

 ご冥福をお祈りします。

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気になること

2015-01-22 07:52:49 | 皇室報道

 まず・・・・

 

 天皇陛下風邪で公務取りやめ

21日、天皇陛下は風邪症状の為、昼食会などの公務をとりやめ。

軽いが微熱があり、拝謁などの公務も取りやめ

 なんだってこういう時に皇太子に代行させないのか理解不能。

  ここまで頑固だと完全に次世代の事をお考えになっていないと

  思います。

  ご自分はずっと「代行」されていたのに。

 

とはいえ・・・

 皇太子、学習院女子大で講義

21日、皇太子は学習院女子大学で講義。

「オックスフォード大学留学体験記」

東京オリンピックの開会式を見た時。世界中に多くの国がある事を認識。

(当時4歳)

留学時のエピソードなどを1時間半にわたって講義

 毎年、この時期に毎回同じテーマで講義をしていて、もう11回目?

  同じことしか喋らないし、これは「講義」というより「体験記」じゃないの?

 4歳だった少年に「世界には国が一杯ある」なんてわかったろうか

 留学エピといえば洗濯機に洗剤ひと箱を入れて大騒ぎになった事

くらいでしょうかね。

こんな事しないで、陛下の昼食会と拝謁を代行する方が皇太子らしい

お仕事ではないかと思いますが。

 

 国宝・重文他72点不明

 文化庁発表

 2次調査であらたに72点が不明

 第一次調査とあわせて180点が不明(国宝2点)

 インターネット売買などを調べる予定

 ぜひぜひ宮内庁の倉庫も調べるべき。ティアラがなくなっていても

  ちーーっとも驚かない。

  文化庁さま、本気でネット売買を調べるならヤフオクを。

  それであまりにもひどい事実がわかっても、口封じをするなよ。

 

歌会始めの儀を海外向けに配信映像

  

 

「美しすぎる佳子様シリーズ13」


 

佳子様に海外の反応は

<!-- 海外の反応 -->

 

日本人は真実を伝えませんが、海外では正直に伝えられているのです。

そして日本から海外に佳子様や眞子様の事を伝えようという志を持つ

日本人がいる事が嬉しいです。

 

 

 

 

 

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人命は地球より重い?

2015-01-21 07:25:19 | つれづれ日記

 昨日は一日中外出していたので、ニュースを見る暇がなく。

そしたら日本人2人がイスラム国で人質?

理由は日本がエジプトに2億ドルの援助を約束したから?

いわゆる対テロ対策費?

今まで、こういう事件と日本人は無関係と思っていたのに

 

ここで。

私の回りの左巻きの方々は

「2億ドル?出すわけない。安倍総理はこれで自衛隊を出せると思って

内心、ほくそえんでいるんじゃないの?」

安倍総理ってほんと、岸信介のDNA継いでるよねーー」と。

人命は地球より重いという名言(?)があるけど、やっぱりこういう思想かあと

がっかりしました。

それはそれとして。

どうも映像が嘘っぽいような気がするのはなぜ。

両脇の人質さん達、微動だにせず無表情。今までの人質事件の映像を

みたわけではないのでどうともいえないけど

人は命の危険が迫っている時、あのように無表情で微動だにしなくなるもの?

緊迫感も見えて・・・いる・・精神的に追い詰められて頭がおかしくなって

感情を閉ざしているのかしら でも落ち着き払ってもみえ。

 

向かって右側の男性は軍事会社を立ち上げた人だそうですね。

湯川さんとかいう方。

この平和な日本で軍事会社を立ち上げるというのもなんですが

「独身だから死んでもいい」と思っておられたようで。

そして彼を案内してたのが後藤さんという軍事ジャーナリストですか?

 

「自己責任」ですまされる事は望みません。

小泉総理時代、なんでもかんでも「自己責任」って言われた事に違和感が

ありました。

もっともあの時はボランティアの人達が人質にとられたわけで

今回とはケースが違いますが。

自己責任ではすまさないけど、覚悟があって紛争地帯に入った筈。

ここで生き恥をさらすより、潔く身を切るのが本来の日本人ではないかとも思い。

 

身代金を出したら非難される。アメリカは「テロには屈しない」宣言してるし。

かといって見殺しにすれば遺族や国民の怒りを買うかもしれない。

どっちにしても安倍政権にとっては痛手です。

だからこそ、自己責任ではなく自己裁量が求められるのでは。

きつい書き方してすみません。

 

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皇太子夫妻、東山魁夷展を鑑賞

2015-01-20 08:00:00 | 皇室報道

 ドタ出だそうです。

 皇太子夫妻は19日、山種美術館を訪問

 東山魁夷展を鑑賞

 「満ち来る潮」」の前で

  皇太子 : 綺麗な絵ですね

  雅子妃 ; 作るのにどれくらい

 二人でしゃがみこんで鑑賞

 皇太子 : 展覧会を2人で見に来るのは久しぶりなので、とても楽しかった

 


 

映像からは二人とも全く絵に興味がない事が丸わかり。

特に雅子妃は絵よりも、説明している女性の方に興味があったよう。

それもその筈、その女性(館長)は皇太子妃候補第一号だったのですから

それにしても。

人の説明を、こうも興味ないって顔で聞かれるとすごくモチベーションが下がります。

それだけじゃなく、「綺麗な絵」だの「つくるのにどれくらい」なんて言われたら

学芸員をやめたくなる。

普通は

皇太子 ; 皇居に描かれている絵とどのあたりが違うのですか。

       どういう意図があって制作されたのでしょうか。

雅子妃 ;このターコイズブルーっていうのかしら?この色をどうやって出したのかしら。

くらいは言うんじゃないか?と。

しかも、帰り際に「二人で展覧会に来るのは久しぶりだったから・・・」云々。

別に東山魁夷じゃなくてもいいような口ぶり。

あんまりだ

せめて「雄大な日本がの世界を体験出来て、非常に意義深かった」くらいは言えないの?

 

二人はこのあと 「IL BUTTERO」でお食事だったそうです。

 こちら

 

要するに「外食したいから・・・ちょこっと鑑賞公務」だったようで。

それをマスコミは「雅子様、2008年以来7年ぶりに皇居外の美術館へ」と

報道してくれる。ありがた事ですわ。

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韓国史劇風小説「天皇の母」177(崩れ落ちるフィクション)

2015-01-20 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

母さん、そっちの冬はどうですか?

僕は元気です。

正月休み、ゆっくり帰れなくてごめんなさい。

母さんの雑煮、おいしかったなあ。

東京とはいっても1月2月はひどく寒かったです。

ずっと車寄せに立っていたりすると、母さんの雑煮が懐かしくて。

敬礼している時にすら、そんな事をふいに思い出して。

上司に叱られるんじゃないかとひやひやしました。

 

僕は誇りを持って皇宮警察にいるつもりです。

そりゃあ、キャリア組じゃないから、出世なんて考えちゃいないけど

でも、この制服を着てびしっと立っている時の自分は

こういっちゃなんだけど「かっこいいよな」と思います。

とはいえ、仕事はきついです。

どんな仕事でもそうだと、母さんは言っていましたね。

それはわかるけど、最近は特に「きついな」と思う事が多くて。

僕達の仕事は、自分で考えてはいけない仕事のようです。

常にだれかの支持を仰ぎ、命令系統が正しいかどうか確認し

そして1分1秒の遅れもないように任務を遂行するのです。

少なくとも千代田や赤坂御用地の他の宮家ではそうだといいます。

でも僕がいる場所は。

「待つ」事が仕事です。

ひたすら「待つ」事しか出来ない仕事です。

1月の皇室はとっても忙しいんです。

新年祝賀の儀を始め、いくつもの祭祀、講書始めの儀、歌会始めの儀など

行事が目白押しです。

しかし、ここはまるで火が消えたようになっていました。

時折、殿下が公務に出られる時だけ門は開きます。

それだけです。

・・・と、思っていたら、突如ある日の夕方、妃殿下がお出かけになるというので

慌てました。

何でも六本木で元の上司たちと夕食をとるとかで。

車の手配、各方面への通達。信号操作・・・・僕達は急に慌てて動きだし。

そんなこんなでお出かけになられた妃殿下の帰りは夜中でした。

いつお帰りになるのか。

このまま夜勤に引き継いでいいものか。

もしかしたら朝まで?なんて事を考えながら、ひたすら怒鳴られないように待っているんです。

誰に怒鳴られるですって?

そりゃあ、上司です。

最近のうちの上司はイライラする事が多いらしくて、僕は格好のターゲットになっているようです。

妃殿下がいきなり宮様を連れてドライブに行きたいとおっしゃった時も大騒ぎでした。

母さんは妃殿下を「可哀想な籠の鳥」だと思いますか?

みんなそう思っているんでしょうね。

たまのドライブぐらい・・・って。

でも、国にとって重要な方がいつもいつも「思いつき」で行動されると

正直、僕達は困ります。

しかも、たかがドライブとはいっても、制限時間がないのですからね。

 

予定されていたこともいきなり変更になるので、またもや僕達は

顔色を変えて右往左往します。

最近、一番大変だったのは地方公務のドタキャンでした。

長野スペシャルオリンピックは両殿下にとって非常に大切なものだったと

聞いています。

福祉に造詣の深い皇族にとって、これらの式典への出席は義務。

僕は末端なのでよくわかりませんけど、上司などは

これがマサコ様の公務復帰の足掛かりになれば」と勢いづいたりしました。

僕達も、間違いがあってはいけないと念には念をいれて警備にあたりました。

けれど・・・待てど暮らせど両殿下は現れないのです。

時間は迫っているし、どうするんだろうと、だんだん血の気が引いて来たころ

いきなり「妃殿下は行かない」と知らされました。

僕は、もう驚いてしまって。

だって出発一時間前ですよ。ここまで来たら普通「取りやめ」はないでしょう?

しかも、急病とかいうならともかく、なんと妃殿下が

宮様をお連れになりたいと言ったのを宮内庁が許さなかったから・・・というものでした。

何でそこまで宮様をお連れになりたいのか僕にはわかりません。

だって長野は冬ですよ。寒いんですよ。

ついこの間まで一家はスキーに行ってたんです。

ああ・・・と僕はそこで思いついてしまいました。

妃殿下は宮様をお連れになる事で、長野スペシャルオリンピック臨席のあと

ご一家で二度目のスキーを楽しみたかったのかなと。

そうでも思わないと僕のような末端のものには理解できません。

でも上司は青ざめて「長野にどう言い訳をするんだ」と怒っていました。

 

母さんは新聞や雑誌をよく読むでしょう?

だからこの時の中止についてのマスコミの書いた文章は

こんな感じではありませんでしたか。

「「適応障害」と診断され療養中のマサコさまは

最近は回復傾向にあり、今回の訪問を強く希望。

実現すれば1年3か月ぶりの地方公務となり、SOの競技を観戦される

予定だった。

しかし、宮内庁によると医師団は

「地方に異動したうえで公務にあたるのは負担が大きすぎる」と

当初から懸念しており、同日午前、訪問は時期尚早と最終的に判断。

ご夫妻も同意された。

発熱やほかの病気など、体調の急変が原因ではないという」

マサコ様については医師団が「移動を伴う地方公務は負担が大きい」として

慎重な姿勢を示し、出発日まで体調を見極めていた。

東宮大夫によると、マサコ様は

これまで大切にしてきた障害者の行事でもあり、なるべく早く公務に復帰したい」として

出席の気持ちが強かったが、ここ数日間「お疲れの状態」が続いており、医師団は

欠席が妥当と判断した。

 

医師団というのがどこにいるのか僕はわかりません。

でも僕が知る限り、妃殿下はつい1週間前まで楽しくスキーをしていたのであり

その後も「お疲れ」に成程、外には出られなかったと断言します。

 

結果的に誰が叱られたかといえば、気の毒な東宮大夫です。

回りに迷惑をかけた」と宮内庁長官からお叱りを受けたのです。

そしてそのお叱りは当然のごとく、末端の僕達にも降りてきて

もっと早く出欠を把握できなかったのか」と、ありとあらゆるところから

文句を言われてしまいました。

モチベーションが下がって行くのを肌で感じる今日このごろです。

目出度い筈の殿下のお誕生日もはらはらのしどうしでした。

皇居に参内するのは3人なのか1人なのか、

お祝いにかけつけた人達が帰る頃には顔がくらくなっているのが気になったり

両陛下のお祝いが急きょなくなったり。

何もかも妃殿下の「お気のすむまま」になってしまいます。

 

3月に入ってまた奇妙な事が起きました。

僕達は江戸川のスケートリンクについていくように言われました。

宮様への教育にスケートがいいと思われたかなんだかで

江戸川区のスケートリンクを貸し切るんです。

ええ、まだシーズン中で一般のお客も多い時期ではありますが

皇族だから仕方ないと誰もが僕達の姿をみると、そそくさと消えていきます。

でも、三月の始めだったと思いますが、いきなり殿下が御一人で

スケートにいらした時は驚きました。

妃殿下と宮様は体調不良という事だったんですが、まさか殿下一人でとは。

その1週間後には、今度は神宮のスケート場にご夫妻で。

宮様はお留守番です。

一体、スケートをしたいのは誰なのか?と思ってしまいます。

僕はひねくれ者でしょうか。

 

確か海外青年協力隊の面々が東宮御所に上がり、帰りに

興奮した様子で出て来たのを覚えています。

ちらっと会話を聞いたのですが

マサコ様とアイコ様が庭で遊んでいたなあ。俺たちをみたら

そそくさといなくなって」

やっぱり気まずかったんじゃないの?」

適応障害って、意外と元気なんだな」

心の病の人に冷たいよ

結局あれ、サボリだろ。サボリ。いいよなあ。皇族は」

などという言葉の中には馬鹿にした響きがあって

僕は悲しくなりました。

 

あの長野のドタキャンの時、妃殿下が

大切にしてきた公務だから出席したい」と希望されたというのは嘘です。

微塵もそんな事、思っちゃいない。

だってあの時、妃殿下は宮様を同行出来ないと言った事に

腹を立てられたのですから。

そして、「体調に考慮して」接見しなかったのに、庭で遊んでいた所を

見られた妃殿下。

みな、「ご体調はどうなんでしょう」などと言いながら、内心では

「あれ、サボリだろ」と思っているんですよね。

僕が尊敬し、愛する皇室がどこかへ消えて行きそうです。

・・・・・

はやりこの手紙は出せません。

僕にも最低限の良心はあるので。

 

 

 

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流星ワゴン

2015-01-19 08:10:00 | ドラマ・ワイドショー

 今日は月9の「デート」が始まる日ですか。

すでいいくつかドラマは挫折しちゃって。すみません。

 

 風の峠

子供に二度も自害シーンを見せる大人ってなんだ?

っていうか、色々矛盾があるんだけど、非常に映像美にあふれているなと。

(いくら子供でも百姓は武士にタメ口はきかないだろうけど)

 

 ウロボロス

現代版「必殺仕事人」なのかしら?

とはいえ、生田&小栗のイケメンぶりには全てが許されますわ。

そこまで慕われた先生が羨ましい。

 

 学校のカイダン

気が付けば神木君のまくしたてるセリフを聞きたくてみているのでした。

頑張って体制を打ち破れ

 

 流星ワゴン

めちゃくちゃ面白かったです

香川照之の特殊メイクに始まり、「朋輩」っぷりも楽しい。

だけど不気味な一雄の奥さんと息子。

何とかしなさいよ。

 

ところで、「流星ワゴン」の主題歌はサザン。

サザンと言えば例の「反日」ソングで謝罪したばかり。

今度は桑田さんがラジオで謝罪だそうです。

桑田 ; お正月休み、いただいていたんですけども、私、ネットとかやらないものですから、

      世間の話題に疎いといいますか。最近になってご批判をいただいていることを知りました。

      1月3日と先週の放送も3日に収録したものだったんですけども。

      その時点では私自身気付いておりませんで、ノーテンキで申し訳ございません。

      対応が遅くなって申し訳ないんですが。

      今週の木曜日(15日)にお詫び出させていただいたいたんですが、それについて

      私の口からご説明させていただきたいと思います。

 ネットをやらない人には、全く保守の流れはつかめないという事ですね。

   これは重大な事だと思います。



(1)紫綬褒章をポケットから取り出した件

 桑田 ; 年越しライブの4日間のライブの中で、4日間ともお客様にお披露目しようとする

       場面を(ステージで)いたしました。

      3日間は木箱に入れて、白い手袋をしたスタッフが私に丁寧に手渡してたんですが、

      4日目のライブだけは、紅白と年越しというのがありまして。

      すでに言い訳になってしまってますけども、時間調整に舞い上がったりしたのもあり、

       段取りを間違えてあのように扱ってしまいました。

       大変反省しておりますし、心より、心よりお詫び申し上げます。

 本当に木箱で白手袋だったの?4日目にポケットとは扱いがいきなり変わりすぎないですか?

  木箱に白手袋というのも、勲章にありがたみを感じてそうしたといいうより、一種の

  パフォーマンスだったのでは?

   仰々しく取り出す・・・笑う・・・みたいな。



(2)天皇陛下のモノマネを披露した件

 桑田 ; 昨年秋の(紫綬褒章の)皇居での伝達式の話をみなさんにお話する時に、

       伝達式の陛下のご様子を皆さんにお伝えしようとしたというとこが…私の浅はかなところで。

       大変失礼にあたり、私自身、大変反省しております。

 天皇陛下ってモノマネされるような特徴があるとは思えないけど。

  桑田世代は日教組の教育をガンガン受けている世代で、元々「ラブ&ピース」だし

  きっとビートルズ好きだし。

   陛下の事など「日本の象徴」としか思ってない。いや、象徴=茶番くらいに思っているのでは。



(3)紫綬褒章をオークションにかけるギャグ

 桑田 ; オークションのパロディーはジョークにしたつもりだったんですけども、軽率。

       こういう場面で下品なじょうだんを言うべきじゃありませんでした。

       うちの神棚から紫綬褒章を持ち出す時も、家内が「大丈夫?」なんて言ってたんですが、

        家内の杞憂が現実になってしまいました。

 白木の箱に入れて手袋して取り出していたものをオークションにかける・・・それを

  ジョークだのパロディにしちゃう神経がわからないというか。

   軽率というより、思想がそうなんだろうと思います。



(4)紅白出演時につけていたちょびヒゲ

 桑田 ; アドルフ・ヒトラーという人もいたようですが、ヒットラーのつもりは全くありません。

       31年ぶりに紅白出させていただくというということで、緊張しておりまして、

       笑いをとりたいな、と。本当ははげヅラかぶろうかな、と思ってたんですが。

       結局、ちょびひげを頼んでおいたんです。

        ちょびひげというとコントの定番なんですが、そこをヒトラーと結びつける人がいるということに

       驚いております。

 歌詞と連動していたからではないの?本人の意図はともかく、あの歌を聞いて

  そう思った人が多かったなら、やっぱり根底に「反日」があるんだと思います。



(5)「ピースとハイライト」の歌詞について

桑田 ; これについていろいろな方がネットで私の意図とは違う解釈をされていることに驚いておりまして。

      この曲、一昨年の夏に発売して、歌詞は春に作ったのかな。

      集団的自衛権とかも話題になる前だったと思うんですけども。

      東アジア全体で起こってる問題として作った歌詞なんでございます。

      二度と戦争などが起きないように仲良くやっていこうよ、という思いを私は込めたつもりなんですけども。

      たかが歌ですのでたいした力はないかもしれませんけども、

      希望の苗を植えていこうよ、地上に愛を植えていこうよ、というメッセージをね。

      平和を願う者として今後も時折こういうメッセージを発信していきたいと私は思っております。

 東アジアで起こっている問題=従軍慰安婦・竹島・尖閣・・・じゃないの?

  仲良くやっていく=日本の反省と謝罪ではないの?



 ◆ここで改めてファンへ。

桑田 ; 今までもいろんなことを言われたり書かれたり、語られたことはあるんですけども。

      大衆芸能を生業にしてると、誤解とか曲解とか避けて通れない。今後ともよろしくお願いします。

     昨年の年越しライブの一部の内容についてお詫びを説明させていただきました。

     いい年して失敗したり、相変わらずのおっちょこちょいなことをやったりしてますけどもね、

     これからもサザンオールスターズをどうぞよろしくお願いしたいと思います。

    不愉快極まりない思いをさせた方々には、ごめんなさいとか申し訳ないじゃ済まないと思うんですけども。

    ファンの方がとても温かくて、頑張れよ、とかどんまいどんまいというメールやお手紙を

   いただきまして。

   きちっと反省するところは反省して、気持ちを切り替えてアルバムとツアーに、

   サザン、舵を切らせていただけたらと思うわけでございます。

 若い頃、ストレートな物言いとか、パフォーマンスにすごいなと思った事はあります。

  それがここまで自己保身に変わるとは。

  いっそのこと、「従軍慰安婦・竹島・尖閣で日本は謝るべきだと思う」とはっきり言ってくれたら

  みんな納得するのにね。

  こういう「隠れ左翼」みたいなのは嫌だなあ。

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ヘイトスピーチ許さないってどこに言うの?

2015-01-18 07:00:00 | つれづれ日記

 2015年、1月17日。阪神大震災の追悼式典に両陛下がご臨席。

阪神出身の芸能人らは当時の記憶を語ったり、追悼式に出たり。

というのはマスコミがやっている事。

しかし、一方で、どのブログを見ても皇太子夫妻があの日、あの時

中東に観光旅行した事が語られているという事実を見逃すわけにはいかないのでは。

人々は忘れていないんです。あの時の皇太子夫妻の所業を。

せっかく両陛下が臨席された式典も、全然ありがたくない

こんな日が来ようとは思いませんでした。

ところで。ネットのニュースでこんな記事が。

<阪神大震災20年>皇太子ご一家が黙とう

毎日新聞 1月17日(土)12時4分配信

 

 宮内庁によると、皇太子ご夫妻と長女愛子さまが17日、東宮御所で阪神大震災の犠牲者の

冥福を祈り黙とうされた。【古関俊樹】

最終更新:1月17日(土)12時7分

 こんな事をわざわざ報道させる宮内庁

  国民の怒りを煽っているのですか?

  そもそも黙祷した証拠がどこにある いつ、どこで、どんな風に黙祷したのか

  証拠を見せなさい

仕事場でうちの44歳(もうすぐ45)が、ある張り紙について尋ねて来ました。

その張り紙は「平成27年 2015年 昭和90年」と書いてありました。

そう、今年は昭和90年なんですよねーー感慨深いなあと思っていたら

何で昭和なんて書いてあるんですか?今、平成じゃないですか

と言うんです。

まあ、確かにそうだ だけど・・・・何て説明しよう。

あれは昭和〇〇年だねえ・・あ、それって何年前だっけ?そうそう今は

昭和90年だから・・・〇〇年前だねって話すためだよ」と言ったら

世間話の為ですか」っていうので

いや、そうじゃないけど昭和って64年も続いた最長の元号なの。

昭和生まれの人は、昭和〇〇年の方がわかりやすいじゃん」と言ったら

そんな事言う人いるんですか?もう平成も27年ですよーー」と。

まあ そうだけどさ

最近の若い人は自分の生年月日を平気で西暦でしか言わなかったりします。

元号を覚える事が、皇室を考える上で重要だと思いませんか?

かつて、色々な国が独自の暦を使っていた事もあると思います。

太陽暦が当たり前、西暦が当たり前になった昨今、元号なんて意味あるのか?

と思う人も多いかもしれませんけど、日本人にしかわからない元号を持つ意味は

大きいと思いますけどね。

が。

正直、皇太子が天皇になった時の元号は使いません。

そして市役所には沢山のポスターが貼ってあります。

「拉致」取り戻す。

こんなの。インパクトあり。

 

で、今度は

 このポスターを貼るんですって。

発表したのは上川法務大臣 この人。

この方がおっしゃるには

「(ヘイトスピーチは)

人々に不安感や嫌悪感を与え、人としての尊厳を傷つけたり差別意識を生じさせかねないもので、

あってはならないことと考えている

「ヘイトスピーチがあってはならないということを、理解しやすい形で表した、効果的な啓発活動に

積極的に取り組む」

今の法律で対応していくなかで、しっかり取り組んで行くことが基本だと考えている。

大事なことは、広報活動を通じて社会全体の意識を高めていくことだ」

非常にご立派な事をおっしゃっているのですが。

一体、どんな言動に対して

「人々に不安感や嫌悪感を与え、人としての尊厳を傷つけたり差別意識を生じさせかねないもの」

とおっしゃるんでしょうか。

このポスターをソウルの街に貼るというなら大賛成。

北京の街に貼るというのも大賛成。

けれど、日本の公共機関に貼る意味がわかりません。

これこそ「言論統制」ではありませんか。

上川法務大臣、相手から散々悪口を言われるのはよしとするわけ?

 

何が「差別」で「ヘイト」かっていうのは、基準が難しいのではないかと。

というのも、フランスの新聞社で起きたテロ事件。

フランス国民は大激怒してデモまでやって「言論の自由」を宣言しているけど

モハメッドの風刺画を掲載するという事自体、イスラム教徒には

「ヘイト」な事じゃないんでしょうか?

キリスト教において、イエス・キリストの風刺画なんか出て来たら

バチカンが怒るんじゃないの?

そもそもイエスとマグダラのマリアは結婚していたーーなんて事ですら

大きな声では言えない事じゃない。

仏教においても、釈迦の風刺画なんか出て来たらやっぱり怒りませんか?

これが天皇陛下だったら?

「言論の自由」を盾にして、相手に失礼な事を言ったりしたりするのは

やっぱり「ヘイト」だと思います。

(だからって殺していいわけではないけど)

 

だけどね。

韓国人は韓国に帰れ」とか「うそつきな韓国人」とかいう事が

どうしてヘイトになるの?だって本当の事じゃない

自らが生き残る為に相手を貶めたり、無実の罪を着せたり、ずるをしたり

嘘の印象を広めたりする・・・そっちの方がよっぽど「ヘイト」ではないかと。

そんな人たちをひたすら庇いだてをする政府。

とりわけ上川法務大臣。

だったら私は、あなたにヘイトスピーチをしてあげますわ。

「日本人じゃない法務大臣は去れ」ってね。

ヘイトされてるのは日本であり、日本人です。

国旗を焼かれ、総理大臣の顔を焼かれ、なんでもかんでも「日本が悪い」

おまけにありもしなかった事をあったあったと世界に吹聴されている国。

自国の領土すら奪われかねない国。

それが日本なんです。

日本国の法務大臣は、国旗が焼かれてもいいわけ?

安倍ちゃんの写真が焼かれてもいいわけ?

それはそっちの国の話だっていうの?

いくら平和主義でお花畑の日本人でも、ここまでされたら怒るのは当然ではないか。

日本人に、日本を守る権利を与えよ」

そんなポスター・・・どこか作ってくれないかしら?

 

 

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皇室ウイークリー

2015-01-17 18:45:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

1月9日・・・・両陛下 → 講書始めの儀

                講書始めの儀関係者に会う

      天皇陛下 → 通常業務

1月13日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

               「2015年ハンセン病の患者,回復者,その家族に対する差別の撤廃のための

               グローバル・アピール」について説明を受ける

      天皇陛下 → 通常業務

1月14日・・・両陛下 → 歌会始めの儀

                歌会始めの儀の関係者に会う

                兵庫県行啓について説明を受ける

1月15日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

        皇后陛下 → 樫本大進&エリック・ル・サージュ鑑賞

 

皇太子同妃両殿下

1月9日・・・皇太子殿下 → 講書始めの儀

1月14日・・・皇太子殿下 → 歌会始めの儀

                   (「防災・減災に関する国際研究のための東京会議」開会式パネル会議

1月15日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

                   第3回コチア青年三世研修訪日団に会う

 

秋篠宮家

1月9日・・・両殿下・佳子内親王 → 講書始めの儀

       紀子妃殿下 → 結核予防会に会う

1月13日・・・紀子妃殿下 → (「新愛育病院開院記念式典」について説明を受ける

1月14日・・・両殿下・佳子内親王 → 歌会始め

        紀子妃殿下・佳子内親王 → 第14回東京国際キルトフェスティバル~布と針と糸の祭典~」

                           について説明を受ける

1月15日・・・佳子内親王 → 多摩・武蔵野・武蔵野東陵参拝

 両陛下は阪神・淡路大震災から20年目の1月17日、式典に参加する為

  16日に神戸入りされました。

確か、週刊誌などではこの「20年」の節目には皇太子夫妻が式典に出席する

だろうと言われていました。

それがあっさりと両陛下に決まってしまったわけです。

15年目の時は皇太子夫妻が出席しています。

当時、雅子妃は式典で涙を流していたのに、それが終わると笑っていた・・・・とか

それが不評だったのか、それとも「ドタキャン」の可能性が嫌われたか、

はたまた、震災の翌日に中東に行って紅白ドレスを着、ラクダレースに興じていた

事が嫌悪されたか。

そういう事、皇太子夫妻は微塵も考えないんだなあ・・・と思うと、情けなくて。

だけど、もっと腹が立つのは堂々と尻拭いしてしまう陛下で。

いっそ、秋篠宮にふればよいものを。

天皇の仕事を宮家が代行できない・・・・とするなら、いちいち、東宮家の仕事を

陛下に格上げもしなくていいはずなのに。

 

 再掲載 韓国史劇風小説「天皇の母」震災編 (フィクションだけど)

 

1月17日。早朝に神戸を中心とした大地震発生。

情報の遮断で首都圏には

正確な情報がなかなか伝わらず。

1月18日。東宮夫妻が出発の為に参内。

マサコは出発前の記者会見において

国内でこういう事が起きている直後に国を離れるという事は大変・・

しのびないという言葉がよろしいんでしょうか・・・

そういう気持ちでございますが

あちらにおりましても国内で苦しんでおられる方々の事を忘れず、

一刻も早く立ち直られる事日々、祈っております」

多くの国民もマスコミも、その言葉に偽りがあるなどとは思っていなかった。

誰もが「以前から決まっていたのだから仕方ない」と理解したし、むしろ日本の為に

頑張って欲しいとすら思った。

一部の識者達が「訪問を中止すべきだった」と雑誌に書いても誰も耳を貸さなかった。

 

1月21日。夫妻はクウェートに到着した。

皇太子もマサコも日本国内での暗い雰囲気から抜け出した喜びで顔が輝いている。

特にマサコは中東の豪華できらびやかな装飾に心を奪われた。

やっぱり石油の国はお金持ちね。ここに比べたら東宮御所なんて紙で出来たボロ家だわ」

早速クウェートのジャビル首長を表敬訪問。

この時、マスコミはマサコが着ていた衣装に一瞬、目を疑った。

それは鮮やかな真っ赤なドレス。

そして大きな真っ白のショールをはおっていたのである。

胸元のネックレスも白で、誰が見てもそれは「紅白」だった。

マサコは豪華な衣装を身につけた事で気分が高揚しており、いつになく喜色満面。

金に糸目をつけないゴージャスなもてなしにうっとりしている。

紅白・・・って。そりゃあないんじゃないか?」

同行取材の記者達はかたまってしまった。

「だって日本では・・・」

衣装は最初から決まっていたんだから仕方ないだろう」

でも何となく能天気っていうか、震災が起きてからまだ4日だぜ。なのに皇太子も妃殿下も

あんなに嬉しそうな顔をしてさ」

陰気な顔をしたら失礼じゃないか」

でも・・・と思う。一切の陰りがない、まさに水を得た魚のように生き生きと首長と会話し

明日の観光について様々な質問をする妃の姿は、日本では見る事の出来ない姿だった。

マサコは去年から「風邪」と称して公務を休みがちだった筈。

外国に来ただけでこんなに元気になるとは

マスコミにとってそれは「最初に感じた違和感」だったのかもしれない。

1月22日、クウェート内の博物館を訪問。見事なピンク色のスーツで置いてある沢山の

お菓子に手を伸ばすマサコの姿をマスコミはとらえた。

マサコにとっては全てが夢のようだった。

金銀にルビーにサファイア。世界中の宝石をあしらった様な豪華な建物の数々。

高い天井、きらきらした衣装。日本では見た事もないような、華やかで重厚な部屋。

水さしですら金で出来ている。シャンデリアの輝きはヨーロッパの宮殿を思わせるし

エキゾチックな砂漠の景色、最高権力者達から最高のもてなしを受ける喜び。

まるで・・・おとぎ話のお姫様になったようだ。

ここでは「ダメ」という事がない。

博物館にお菓子がたくさん並べられている事でもわかるように、全て「お好みのままに」

という雰囲気である。

夕食に何かお望みのものは?」と聞かれたので冗談半分で

リードヴォー」と答えた。

皇太子は「リードヴォーって?」と尋ねる。

仔牛がミルクを飲む時に使う内臓の一部よ。大きくなると消えちゃうの。

ちょっと珍しいけど西洋料理にはよくつかわれるわ」

へえ、マサコはそういう事もよく知っているね」

皇太子は感心して頷いた。彼もまた国内を飛び出した解放感にいささか酔っている。

なにせ、ここに来る直前の日本と来たら、一日中関西の地震の話ばかり。

笑ってはいけないような雰囲気が漂い、れっきとした公務での外国旅行なのに

犯罪者が逃げるような思いで飛行機に乗らなければならなかった。

クウェートに到着したら乾いた風とサンドベージュの景色が心底心を癒してくれる。

結婚して以来、マサコと東宮職の間で気持ちが休まる暇がなかった。

何がどうしてこんなにもめるのか?というくらい。

でも、ここではマサコはいつも上機嫌だし、同行している侍従も女官も何も言わない。

それが嬉しかった。

その夜のサアド王太子主催の晩さん会では、見事にリードヴォーが出てきて

マサコはびっくりしてしまった。

こちらにはないものなのでフランスから空輸させたんですよ」

さすがにお金持ちは言う事が違う。マサコは目を輝かせた。

私達のような階級の人間は、民の幸せを守る事も仕事ですが一方でアラーの

神の恩恵を受ける事も出来る。こんな風にね」

ええ。素晴らしいわ」

皇太子の物言いはマサコの理想そのもの。ハイソな人間というのはこんな風に

贅沢を楽しむもの。贅沢を楽しむ事に躊躇しなものなのだ。

 

名残惜しいクウェートを出て23日にはアラブ首長国連邦へ移動。

痛い程照りつける砂漠の太陽の光も今のマサコには少しもつらくなかった。

大胆な色使いの服を着ても変に目立つ事もないし、むしろ賞賛される。

早速、遺跡見学では夫婦でカメラを抱え「どこの景色を撮ったらいいか」と

相談し合った。

結婚してこんなに話をするのは初めてかもしれなかった。

ここでのもてなしもクウェートに負けないくらい素晴らしかった。

ラクダレースは予想以上に興奮するもので、それを特等席でワインを片手に見る贅沢さ。

25日にはハリファ王太子と一緒にサッカーを見る。硬い椅子の席なんかじゃなくて

びっくりする程ふかふかの椅子で、テーブルにはごちそうが並んでいる。

さらにドバイ・クリークを見学し、夜に会食。

そこで出た料理も食べ切れるものではなく、とにかく「これでもか」という程

ごちそうが並べられる。それがこちらの風習なら、何と羨ましい事か。

もはや日本での震災の事など彼女の頭の中からはすっぽりと抜け落ちていた。

 

そんな日本の皇太子夫妻のくったくのない喜びように、次第にアラブ側が焦り始めていた。

自分達の提供する「石油産国ならではの豪華なもてなし」をこのうえなく喜んでくれるのは

いいのだが、その間、全く憂いを見せない事にむしろ「違和感」を感じたのだ。

もしかしてあの皇太子夫妻は我々の為に、無理して笑顔を作っているのではないか」と。

自国での震災を心配する様子すら見せない完璧な笑顔は日本人特有の気遣いではないか」と。

それなら、アラブ側としても誠意に答えなくてはなからなかった。

日本はこれから先も重要な取引相手なのだし、これ以上引き留めてあれこれ連れまわす

事はむしろ拷問に近い筈だ・・・そう考えたのだ。

26日のヨルダンでの晩餐会の席。

きらびやかな照明と大勢着飾った人達、豪華な料理を目の前にして、

ひたすら雰囲気に浸っているマサコの耳に突如、フセイン国王からとんでもない言葉が

聞こえてきた。

お国の事がご心配でしょうから、どうぞお帰り下さい」

その言葉に皇太子は、ちょっとほっとした様子で「ありがとう」と答えた。

こちらに来て、毎日サッカーだラクダレースだ、見学だ・・・と現実を忘れる出来事に

皇太子は少しずつ罪悪感を覚えていたのだ。

まだそのくらいの分別が残っていた事に、随行員はほっとした。

しかし、マサコはそうではなかった。

何でもう帰るの?あと2日残っているじゃなの。死海だってまだ見てない。

ここまで来て死海を見ずに帰るなんてありえないでしょう」

あちらの気遣いなんだよ

とうとうこの日がやって来たか・・・・またも皇太子はげそっとしてうなだれた。

たった数分前までの上機嫌な顔が一気に怒りに変っている。

神戸の震災の被害は日々広がっているんだって。その数が戦後最大になるとかいう

話なんだよ。日本は今、真冬だし、住む家を亡くした被災者が救助を待ってたりしているとか。

だから我々も早く帰って・・・」

そんなの私達には関係ないじゃない!」

マサコは叫んだ。御付の女官がぎょっとする。

私たちは仕事で来たのよ。皇室外交っていう仕事。地震の被災者がどうのっていうのは

その当事者が考えるべきで、私たちは私達の仕事をすべきでしょう。

あと2日残っているのに、こんな事で帰る事自体、相手国に失礼だし不本意です」

その相手国から帰った方がいいと水を向けられたのだから、それに従うべきで」

何よ。みんなして地震地震って・・・・何で私の仕事を邪魔するのよ」

マサコはちくちくと爪を噛み始めた。

マサコ、爪を噛むのは・・・」

だったらあと2日、何とかしてよ」

それでもどうにもならなかった。

 

27日。遺跡見学を終えて飛行場に向かうのに見送ってくれたのは

サルワット妃だった。

日本の大きな地震災害には私達のとても心を痛めておりますわ。

私達の友好関係でお互いに助け合ってまいりましょう。何でもおっしゃってね」

優しいサルワット妃の言葉に皇太子はにっこりほほ笑む。

ありがとうございます」

お国はきっと復興しますわ。信じています」

ええ。そうですね

力強い妃の言葉に対して皇太子の返事はどことなく気持ちが入っていない。

それもその筈、皇太子は横で不機嫌に黙り込んでいるマサコが気になって仕方なかったのだ。

朝から一度も会話をしてくれない妻。

皇太子はそんな妻の態度がひたすらサルワット妃に伝わらないように冷や汗をかきつつ

笑っていた。

1月28日に日本に到着した。飛行機の中から見えた日本の景色をマサコは懐かしいとも

思わなかったし、関西方面へ目を向けようともしなかった。

 

 

 

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