夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『中秋の名月』の想いで・・♪

2007-09-25 18:19:00 | 定年後の思い
私が小学校に入学したのは、昭和26年の春である。

この頃は、祖父、父が先祖代々から農家を引き継いで、
ある程度手広く、小作人の手を借りながらも田畑を耕していた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けたが、
2人男の子が続いたので、今度は女の子を期待していたらしく、
三男の私としては、幼児心に何となくいじけた可愛らしくない児であった、
と幼年期を振り返り時、想いだしたりしている・・。

この時節の満月を迎える中秋の名月の時は、
母屋の主庭に面した縁側で、月の光が観える位置に飾りを供(そな)えていた。

三方(さんぽう)と称された檜(ヒノキ)の白木で作った方形の折敷(おしき)に三方に穴が開いた台に、
半紙を敷いて、お米の粉で作った団子を15個ばかり供えられていた。

薄(すすき)が活(い)けられ、その脇には農作物の里芋(さといも)、サツマイモ、蓮(の根)などが置かれていた。

私は祖父に可愛いがわられて、祖父の冷酒を呑む横に座って、
満月を眺めたりしていた。

今、こうして想いだすのは、農家であったので、
春から育てられた農作物が何とか夏の日照り、台風などの被害を受けることなく、
無事に秋の収穫を迎えることができ、感謝をささげる意味から、
このように形式がとられたと解釈している。

尚、それから数年後、父が死去し、祖父にも死別され、
大黒柱を失った実家は衰退の一途となり、このような儀式には余裕がなく、
消滅した。


今の私は、この時節になると、
家内とどちらともなく月を眺めたりした時、
『月・・綺麗だね・・』、
と誉(ほ)めたりしている。





コメント
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