序章 明日から九州湯けむり紀行。
家内と温泉の事で、話していた時、
私と家内は、九州に関して、余りにも知らないことがあった。
私は、別府温泉、霧島温泉は未知であった。
家内の方は、霧島温泉、指宿温泉が行った事はない、と言う。
こんな話を三週間前頃していたら、
家内が周遊団体観光がありましたから、
行きませんか、と尋ねてきました。
私は家族でこの温泉地を廻るのは、
大変なので、行こうょ、と即答した。
明日、早朝に家を出て、
羽田空港~大分空港~国東半島めぐり~湯布院~別府温泉(泊)。
翌日は、阿蘇・草千里~高千穂~霧島温泉(泊)。
そして、知覧~指宿温泉(泊)
その後は、桜島~日南海岸めぐり~宮崎空港・・となる。
家内はA型なのでコースをきっちり調べ上げている。
私はB型なので、デジカメの電池補充をセットし、
どのぐい呑むを持参しようか、と迷っている次第です。
久々の団体周遊観光なので、どうなるか・・。
第一章 山桜に想いを託して・・。
昨日までの4日間、観光周遊団体ツアー『九州湯けむり紀行』に参加してきた。
この間の心に残ったことなどを綴る。
4月10日(日曜日)
団体ツアーの原則として、集合時間の午前7時40分の羽田空港に伴い、
自宅を午前5時40分に出て、最寄駅まで歩く。
私共は、集合時間の30分前に着き、
コーヒーなどを飲み、余裕を残す方が好きである。
羽田空港を午前8時30分発で大分空港に午前10時過ぎに到着。
大分空港は、初めてであったが、
このくらいの空港規模は、全般を見渡せるので、私は好む。
国東半島にある《真木大堂》、《富貴寺》を訪ねる為に、
バスの車窓よりこの周辺の風景に心に沁みた。
素朴な里村に里山の雑木のなかに、
淡いピンクの花がぽっんと点を落としたように、所々にも見られる。
山桜である。
こうした田畑の奥まったところに、里山あり、
この季節に山桜がひっそりと咲いているのを見ると、
心の安堵感が増してくる。
このような光景は、日本の心のふるさとを行く、
といったようなやすらぎの風景の一面でもある。
昼食に出された『団子汁』は、素朴な素材であるが、
懐かしい香り、味があり、美味しかった。
こうしたのに変な格調で綴るより、素直な感覚で味わうのが大切である、
と日頃から思っている。
《富貴寺》は、山門まで石段と本堂のある境内の庭は、
とりたてて美点はないが、全般的にバランスのとれた景観をなしていた。
このようなところは、一時間で見るより、
半日かけて拝観すべきな寺である。
この後、《湯布院》に行ったが、大人のおもちゃ箱をひっくり返したような、
観光客の多いところである。
二十五年前頃に立原正秋・氏、十五年前頃に山口瞳・氏が
《亀井別荘》の滞在の随筆を残しているが、
日曜日と観光ブームのせいで、観光客が主道は溢れている。
人ごみをさけて、《金鱗湖》の周辺と町外れを散策したが、
かの二氏が綴った情景が残っていた。
集合場所の近くの土産売り場で、《由布美人》と称した、
しぼりたてのなま原酒を買い求めた。
この後、別府温泉地に行き、《地獄めぐり》に立ち寄ったが、
この周辺にある庭の池と樹木の配置の方が、数段興味をそそいだ。
ホテルに行く途中、町外れにある公園は桜が満開であり、花見客で賑わっていた。
本日の収穫は、山桜につきる。
第二章 霧の馬酔木(あせび)・・。
4月11日(月曜日)
別府温泉を出て、阿蘇の草千里に行く、やまなみハイウェイは、あたり一面霧だった。
沈下花に似た白っぽい蕾の花木が数多く見られた。
ガイドによると、馬酔木だと教えてくれた。
この辺は山の中腹にあるので、街並みにあるような、
多数の白色つぼ形が円錐花を順になして垂れて咲く、のと違って、
肌寒い霧の中で、蕾のままであった。
馬酔木と聞き、私の脳裏は、
敬愛する小説家の立原正秋・氏の若き日に大和路で
人生を模索していた時の情感を、
馬酔木さく 奈良公園に
たたずむも なみだながせし
二十歳のなつかしや
正 秋
句が蘇ってきた。
そして、居間にあるこの人の複写の色紙に
秋篠の 名をなつかしみ
そのかみ この道を行きし
正 秋
想いだされた・・。
この後、《高千穂峡》、《通潤橋》を得て、霧島温泉に宿泊する。
第三章 桜の舞い散る頃に・・。
4月12日(火曜日)
霧島温泉をでて、霧雨の中、霧島神宮に寄る。
広い境内を霧雨の中、静寂のひとときにつつまれ、心にしみてくる・・。
その後、島津家の別邸《仙厳園》に立ち寄った後、
知覧にある《特攻平和会館》に行く。
私は、歴史の中で不幸にも、
若き日に命を国家に捧げた隊員の遺書が確認したかった。
私の特攻隊に関する根底は、ニュース、歴史書物、映画から得た知識があり、
何より阿川弘之・氏の『雲の墓標』を二十歳過ぎの時に読んだのが
基礎知識と影響を受けていた。
鹿屋基地にある海軍海兵団を描かれていた。
雲こそ吾が墓標
落暉よ碑銘をかざれ
この小説は、私の人生観を揺さぶられたひとつの書物である。
そしてここ数年前に映画の『ホタル』を観た。
この映画は、知覧にあった陸軍の特別攻撃隊をテーマにしている。
こんな拙い知識の上で、この平和会館に入った。
おびただしい遺書、日記が展示されていたが、二十分過ぎると、心重くなった。
うみやまに まさるめぐみに むくひなむ
道をゆくなり いさみいさんで
佐藤 新平
君がため 雄々しく散らん 桜花
上成 義徳
会館を出ると、大通りの桜並木があった。
おびただしい石燈篭の中で、桜の花びらが空をさまよい、
地上に舞い降りていた・・。
そして路肩に吹き寄せられた花びらが、薄い絨毯のように敷き占めていた。
この後、開聞岳を眺める長崎鼻を得て、指宿温泉に泊まる
最終章 旅の終わりに・・。
4月13日(水曜日)
指宿温泉を出て、桜島に渡り、展望所で山頂を見る。
鹿児島県の観光として、最大のソフトは『西郷隆盛』と『桜島』であろう・・。
日南海岸めぐりした後、宮崎空港に行く。
午後6時55分・発までの間、空港内の3階の軽食店でビールを呑む。
簡単なオードブルを食べながら、家内と色々話しこむ。
今回参加したメンバーは、平日利用4日間であったので、
やはり男性の場合は60歳以上である。
そして夫婦連れ、女友達のグループがほとんどである。
夫婦連れの場合、朝のお風呂、食事、バスの中、、観光地、昼食、
夕食前のお風呂、夕食・・と言ったようにお逢いし、会話など交わすので、
その人達の人生観の一部を甲斐は見ることができる。
私の場合、やはり自分より五年以内のお方のご夫婦を参考にさせて頂く。
十年以上の場合であると、育った時代、社会環境が違うので、
尊敬の念はあるが、参考にはならない。
自分達は、果たして見苦しい点はなかったか、と反省話になる。
旅の終わりには、いつも私共もこんな話をしている。
家内と温泉の事で、話していた時、
私と家内は、九州に関して、余りにも知らないことがあった。
私は、別府温泉、霧島温泉は未知であった。
家内の方は、霧島温泉、指宿温泉が行った事はない、と言う。
こんな話を三週間前頃していたら、
家内が周遊団体観光がありましたから、
行きませんか、と尋ねてきました。
私は家族でこの温泉地を廻るのは、
大変なので、行こうょ、と即答した。
明日、早朝に家を出て、
羽田空港~大分空港~国東半島めぐり~湯布院~別府温泉(泊)。
翌日は、阿蘇・草千里~高千穂~霧島温泉(泊)。
そして、知覧~指宿温泉(泊)
その後は、桜島~日南海岸めぐり~宮崎空港・・となる。
家内はA型なのでコースをきっちり調べ上げている。
私はB型なので、デジカメの電池補充をセットし、
どのぐい呑むを持参しようか、と迷っている次第です。
久々の団体周遊観光なので、どうなるか・・。
第一章 山桜に想いを託して・・。
昨日までの4日間、観光周遊団体ツアー『九州湯けむり紀行』に参加してきた。
この間の心に残ったことなどを綴る。
4月10日(日曜日)
団体ツアーの原則として、集合時間の午前7時40分の羽田空港に伴い、
自宅を午前5時40分に出て、最寄駅まで歩く。
私共は、集合時間の30分前に着き、
コーヒーなどを飲み、余裕を残す方が好きである。
羽田空港を午前8時30分発で大分空港に午前10時過ぎに到着。
大分空港は、初めてであったが、
このくらいの空港規模は、全般を見渡せるので、私は好む。
国東半島にある《真木大堂》、《富貴寺》を訪ねる為に、
バスの車窓よりこの周辺の風景に心に沁みた。
素朴な里村に里山の雑木のなかに、
淡いピンクの花がぽっんと点を落としたように、所々にも見られる。
山桜である。
こうした田畑の奥まったところに、里山あり、
この季節に山桜がひっそりと咲いているのを見ると、
心の安堵感が増してくる。
このような光景は、日本の心のふるさとを行く、
といったようなやすらぎの風景の一面でもある。
昼食に出された『団子汁』は、素朴な素材であるが、
懐かしい香り、味があり、美味しかった。
こうしたのに変な格調で綴るより、素直な感覚で味わうのが大切である、
と日頃から思っている。
《富貴寺》は、山門まで石段と本堂のある境内の庭は、
とりたてて美点はないが、全般的にバランスのとれた景観をなしていた。
このようなところは、一時間で見るより、
半日かけて拝観すべきな寺である。
この後、《湯布院》に行ったが、大人のおもちゃ箱をひっくり返したような、
観光客の多いところである。
二十五年前頃に立原正秋・氏、十五年前頃に山口瞳・氏が
《亀井別荘》の滞在の随筆を残しているが、
日曜日と観光ブームのせいで、観光客が主道は溢れている。
人ごみをさけて、《金鱗湖》の周辺と町外れを散策したが、
かの二氏が綴った情景が残っていた。
集合場所の近くの土産売り場で、《由布美人》と称した、
しぼりたてのなま原酒を買い求めた。
この後、別府温泉地に行き、《地獄めぐり》に立ち寄ったが、
この周辺にある庭の池と樹木の配置の方が、数段興味をそそいだ。
ホテルに行く途中、町外れにある公園は桜が満開であり、花見客で賑わっていた。
本日の収穫は、山桜につきる。
第二章 霧の馬酔木(あせび)・・。
4月11日(月曜日)
別府温泉を出て、阿蘇の草千里に行く、やまなみハイウェイは、あたり一面霧だった。
沈下花に似た白っぽい蕾の花木が数多く見られた。
ガイドによると、馬酔木だと教えてくれた。
この辺は山の中腹にあるので、街並みにあるような、
多数の白色つぼ形が円錐花を順になして垂れて咲く、のと違って、
肌寒い霧の中で、蕾のままであった。
馬酔木と聞き、私の脳裏は、
敬愛する小説家の立原正秋・氏の若き日に大和路で
人生を模索していた時の情感を、
馬酔木さく 奈良公園に
たたずむも なみだながせし
二十歳のなつかしや
正 秋
句が蘇ってきた。
そして、居間にあるこの人の複写の色紙に
秋篠の 名をなつかしみ
そのかみ この道を行きし
正 秋
想いだされた・・。
この後、《高千穂峡》、《通潤橋》を得て、霧島温泉に宿泊する。
第三章 桜の舞い散る頃に・・。
4月12日(火曜日)
霧島温泉をでて、霧雨の中、霧島神宮に寄る。
広い境内を霧雨の中、静寂のひとときにつつまれ、心にしみてくる・・。
その後、島津家の別邸《仙厳園》に立ち寄った後、
知覧にある《特攻平和会館》に行く。
私は、歴史の中で不幸にも、
若き日に命を国家に捧げた隊員の遺書が確認したかった。
私の特攻隊に関する根底は、ニュース、歴史書物、映画から得た知識があり、
何より阿川弘之・氏の『雲の墓標』を二十歳過ぎの時に読んだのが
基礎知識と影響を受けていた。
鹿屋基地にある海軍海兵団を描かれていた。
雲こそ吾が墓標
落暉よ碑銘をかざれ
この小説は、私の人生観を揺さぶられたひとつの書物である。
そしてここ数年前に映画の『ホタル』を観た。
この映画は、知覧にあった陸軍の特別攻撃隊をテーマにしている。
こんな拙い知識の上で、この平和会館に入った。
おびただしい遺書、日記が展示されていたが、二十分過ぎると、心重くなった。
うみやまに まさるめぐみに むくひなむ
道をゆくなり いさみいさんで
佐藤 新平
君がため 雄々しく散らん 桜花
上成 義徳
会館を出ると、大通りの桜並木があった。
おびただしい石燈篭の中で、桜の花びらが空をさまよい、
地上に舞い降りていた・・。
そして路肩に吹き寄せられた花びらが、薄い絨毯のように敷き占めていた。
この後、開聞岳を眺める長崎鼻を得て、指宿温泉に泊まる
最終章 旅の終わりに・・。
4月13日(水曜日)
指宿温泉を出て、桜島に渡り、展望所で山頂を見る。
鹿児島県の観光として、最大のソフトは『西郷隆盛』と『桜島』であろう・・。
日南海岸めぐりした後、宮崎空港に行く。
午後6時55分・発までの間、空港内の3階の軽食店でビールを呑む。
簡単なオードブルを食べながら、家内と色々話しこむ。
今回参加したメンバーは、平日利用4日間であったので、
やはり男性の場合は60歳以上である。
そして夫婦連れ、女友達のグループがほとんどである。
夫婦連れの場合、朝のお風呂、食事、バスの中、、観光地、昼食、
夕食前のお風呂、夕食・・と言ったようにお逢いし、会話など交わすので、
その人達の人生観の一部を甲斐は見ることができる。
私の場合、やはり自分より五年以内のお方のご夫婦を参考にさせて頂く。
十年以上の場合であると、育った時代、社会環境が違うので、
尊敬の念はあるが、参考にはならない。
自分達は、果たして見苦しい点はなかったか、と反省話になる。
旅の終わりには、いつも私共もこんな話をしている。