夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、新たなる清浄明潔の時を迎えて・・♪

2009-04-01 10:47:54 | 定年後の思い
東京郊外の春雨の朝となったが、9時過ぎに霧雨は止(や)み、
私は主庭のテラスに下り立ち、
落葉樹の芽吹き、幼葉、そして常樹木の新芽を眺めたりしていた。

昨夜も深夜、NHK衛星放送で、
ベルリンの壁が崩壊する前後、旧・東ドイツの人々が、
ドイツ統一への道のり、実質は旧・西ドイツに吸収合併される混迷の状況を
描いたドキュメンタリーを視聴したりし、
改めて国が消滅する過酷な実態を学んだりしたのである。

この後、深夜の1時過ぎに、
弥生の3月のカレンダーにさよならすると、
新たな卯月の4月のカレンダーを見ながら、そうこ~そ、
と心の中で呟いた後、『清明(せいめい)』という言葉を目にした・・。

樹木は芽吹き、草花は花を咲かせ、
春の明るい陽射しの光につつまれて、
清らかに生きている万物に恵みの時、
と私は解釈している・・。

このようなことを思いながら、2時過ぎに眠ったのである・・。


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
今朝、7時過ぎに目覚め、雨かょ、と呟(つぶ)やきながら、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら、
小学生の入学するピカピカの一年生・・
企業などに入社し、緊張感の中で迎えられる新社会人・・
お気の毒のスタートと思ったりしたのである。

そして、少しボケた身ながら、昨年の今頃とは、世の中は一変し、
世界中が経済の悪化で、日本も社会まで疲労困憊のような状況に、
知れば知るほど憂いている。

無力な私としては、夜明けの来ない日はない、と思ったり、
樹木などは冬が過ぎ、この時節になれば、芽吹き、やがて葉が生い茂る、
と心に問いかけたりしている。


このような心情で新たなる新年度の四月を迎えたのであるが、
やむ得ず、山川草木の世界に心を寄せたりしている。
東京の郊外も、3月のお彼岸の頃までは陽春であったが、
その後は花冷えの日が多く、私の周辺に於いては、
桜の花もわずかに3分咲きが観られる程度である。

古人の人々は、三月は『花咲月』、『花見月』と称したり、
四月になれば『花残月』とも評していたが、
私の住む街は、この四月の時節は、
『花見月』と『花残月』につつまれて過ごせそう、と私は微苦笑したりしたのである。



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コメント
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