夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

もんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』、私のささやかな想いは・・。

2009-09-13 16:43:43 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
昨夜、NHKのBS2で『日めくりタイムトラベル - 昭和55年! -』
8時より放映されていたので、途中からテレビを観はじめたのである・・。

あの頃の出来事を画面を見たりしていると、1980(昭和55)年のことが思いだされた・・。


あの当時の私は、あるレコード会社の本社でたった独りのコンピュータ専任者であったが、
4月度より商品の物流を委託したり、販売の受託などもあり、
年始早々からは、関係会社との会議、システム改定などで奮闘していた。

確か3月初旬の頃、夜の9時過ぎに職場で、自席に座り、
コーヒーを飲んだり、煙草を喫いながら、システム改定の最終進度をチエックしたりしていた。
私の近くは販売推進系で、たびたびレコード、カセットの試聴盤をかけていたので、
私はポピュラー、邦楽の曲の数々を覚えたりしていた。

この時は、他社の青江三奈のような唄声が流れ、
しばらく聴いたりしていると、
『青江三奈のような唄声で・・音はおもしろく・・勢いがありますね・・』
と私は販売推進の次長に云ったりした。

もとより青江三奈は『伊勢左木町ブルース』、『池袋の夜』などをヒットさせた女性歌手である。

私は楽譜も読めなく音楽の素養もないが、単なる感性から専門外の身でありながら、
その時に感じたことは言葉にしていたので、ときには失笑されることもあった。

『アオエ・・ミナかょ・・もんた&ブラザーズ のデビュー曲で・・『ダンシング・オールナイト』だょ・・』
と販売推進の次長は私に云いながら、微笑んだりしていた。


この曲は4月下旬に発売されて、5月下旬の頃からラジオからもよく流れたのである。

そして、6月初旬にシングルのベスト第一位を獲得して、この後も8月の中旬まで独走し、通算160万枚を超えたのである。

この間、私の直接に関わった<商品の物流を委託のシステム対応も予定通り軌道に乗り、
そして販売の受託のシステム対応も順調に乗り、
この会社からは谷村新司のシングル盤『昴』、そしてアルバムもヒットとなり、
その後はアリスのアルバムも発売もされて、
私の勤めていた会社の業績が大幅に伸長したのである。


私は7月になると、何とか土曜休日の出勤からも開放されて、
家内がデパートに買物に行っている時、
浴衣(ゆかた)に下駄(げた)の容姿で近所の蕎麦屋に行った。
そして、日本酒の冷酒を二合ばかり呑み、笊(ざる)蕎麦を昼食代わりとしたのである。

この後、帰路に向う途中の大通りで、信号待ちしていた自動車から、
大きな音で『ダンシング・オールナイト』が流れてきて、私は思わず微笑んだのである。


このように私なりに、このもんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』は懐かしく、
昭和55年は谷村新司の『昴』共に、私の心の片隅には『ダンシング・オールナイト』は忘れなれない曲となっている。


http://www.youtube.com/watch?v=ZWsham6WXGw
【『ダンシング・オールナイト』 作詞・水谷啓二、作曲・もんたよしのり、編曲・もんた&Brothers、松井忠重 】




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私が秘かに愛するテレビ番組『日めくりタイムトラベル』・・。

2009-09-13 09:25:11 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
昨日、雨が降る日中となり、昼下がりも22度で10月のような気温となり、
一昨日の初秋の晴れ間の快適に一日から、急激に変貌したので戸惑ったりしていた・・。

私は薄手の長袖のスポーツシャツを着たりし、
居間で午前中のひとときは総合月刊誌の『文藝春秋』、『中央公論』も読んだりしていたが、
昼下がりからは寝室の布団に持ち込んで、読んだりしているうちに、
寝付いてしまったのである。

目覚めると午後の6時前で薄暗く、雨が降ったり、止んだりしていた。

夕食が8時過ぎに終えて、家内は2階の寝室でゆっくりとテレビを観ると云いながら上がって行き、
私は1階の居間で何気なく新聞のテレビ番組表を見たら、
NHKのBS2で『日めくりタイムトラベル - 昭和55年! -』
8時より放映されていたので、テレビを観はじめたのである・・。

この番組のNHKの解説に寄ると、
《・・
昭和が懐かしい! 昭和がかっこいい! 昭和が新しい! 
お待たせしました、NHK・BSが自信をもってお届けする「昭和モノ」の決定版!

その名も『日めくりタイムトラベル』。
昭和のとある1年に注目し、事件事故から珍奇な流行に至るまで完全網羅。
その年の空気そのものを「日めくり形式」でパーフェクトに蘇らせます。

スタジオには各世代のタレントや文化人が大集合! 
その年生まれの3人がリポーターとなって、自分の生まれた年へとタイムトラベル。
どんな1年だったかを徹底検証します。

涙あり笑いありのエキサイティングな3時間! 
知っている世代には記憶の強力なフラッシュバック装置として。また知らない世代にとっては異世界への扉として。
さあ、「過去に置き忘れていた物」を探しにでかけましょう。
親子や先輩後輩など、世代の違う方が一緒になってご覧になると、なおさら楽しい番組です!
・・》

このように紹介をされて折、
私は昭和19年生まれで、昭和が終った昭和64年まで45年間は過ごしたことになるので、
その年、その年にそれぞれが懐かしく、
或いは苦節の年はほろ苦く感じたりしていた。

http://www.nhk.or.jp/himekuri/
『日めくりタイムトラベル』


昨夜は、『昭和55年』であり、いつものことながら、番組を視聴しながら、
この当時のことが思いだされたのである・・。


私は家内と結婚したのは、昭和51年の春であり、
私はあるレコード会社の本社でたった独りのコンピュータ専任者であり、
システム改定時もあり、孤軍奮闘していた時代であった。
東京都と千葉県の境に江戸川が流れ、千葉県側の京成腺の『国府台』が最寄駅であった。
学校が三つある古き学園街のような情景で、駅から5分ばかりにある賃貸マンションで新婚時代を過ごした。
家内は茶事を学びながら、専業主婦となったが、
程ほどの貯金もでき、私達は世間の怖さも知らず無邪気に生活をしていた。

二年後の昭和53年の春に実家の近くに一戸建てに移住したのである。
この時、私の若気の至りで、どうせ住宅ローンで借金するのだから茶室まで、
と母屋の一室に建築依頼をした。

予算がオーバーし、庭の樹木の予算が乏しく、
やむえず遠い親戚の植木屋も兼業している小父さんに、数10万円を持参し、
家の周りに少し植えてください、と懇願したりした。

実際一戸建ての新居に生活を始めると何かしら出費が多く、
私は働けどボーナスは住宅ローンで大半が消えてしまい、
家内は見るに見かねて、急遽パートタイマーで働きはじめたのである。

この後、家内は都心の契約社員として職場を変わったり、
本格的な共稼ぎとなったりしたが、
私の勤めていた会社は殆どヒット曲もなく、業績も低迷したので、
ボーナスも低下して、公私共々苦節の二年となった。

昭和55年の春になると、ヒット曲に恵まれて、
私も年収が上がり、まもなく家内は契約社員をやめて、再び専業主婦となり、
何とか飛行機で表現すれば、安定した水平飛行のような生活がはじまった年であり、
公私共々喜びの年であった。

私は番組を観ながら、社会はあのような出来事あったと改めて感じながら、
私達夫婦の若き日に思いを馳せたりしたのである。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-09-12&ch=12&eid=11442
『日めくりタイムトラベル - 昭和55年! 』



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