夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

小庭の手入れ、体力の衰えた老兵の私は昼食抜きで奮戦し、やがて・・。

2014-09-20 17:19:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると、恥ずかしながら古希と称される70歳となるが、
65歳の高齢者入門が許された頃から、体力の衰えを実感し、老兵のように感じてきた。

こうした中で、我が家の小庭の手入れは、現役サラリーマン時代から私の責務であるが、
何よりも暑さに苦手な私は、夏の間は涼しい時に・・と何かと順延しサボり果ててきた・・。

我が家の敷地は変形の為、家屋を建てる当時から玄関庭と主庭に別れているが、
樹木の枝葉は伸び放題、草も茂って純白のタマスダレの花、淡紅色の秋海棠(シュウカイドエ)の花も、
雑草の中で咲いているような状態となっている。

こうした状況の中で、一番喜ぶのは鈴虫(スズムシ)、蟋蟀(コオロギ)かしら、
と私は微苦笑を重ねたりしてきた・・。
          

過ぎし13日は何とか玄関庭は終えたが、残りの主庭の手入れを本日決行した。

朝の9時前に庭に下り立ち、ストレッチパンズの長ズボン、着古したワイシャツ、ウォーキング・シューズで、
帽子を深く被り、滑り止めの軍手をして、そして剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしたりした。

そして曇り空の20度前後の中、樹木の枝葉を高枝鋏(たかえだばさみ)で切り落としたりした。
やがて切り落とした枝葉を整理したりしていると、薄らと汗をかいたりしたが、
夏の燦々と照らす30数度の熱さと違い、この20数度の気温だったら、快適なハイキングと同じようだ、
と独り微笑んだりした・・。

          

こうした中で、ときたまテラスに置いた簡易椅子に腰かけて、
少し休憩ねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
こうした私の情況を見た家内は、料理と掃除の手を休めて、ときおり冷茶を運んでくれたりした。

この後、草むしりをしていると、特にドクダミの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥まみれとなったりした。

しかしながら入梅時とか初夏の時は、汗がしたたり落ちて、汗まみれ泥まみれとなったりしてきたが、
単なる泥まみだけであったので、体力の衰えた私でも、
今しなくて何日(いつ)するのよ、と叱咤激励しながら孤軍奮闘した。

やがて昼食の時になると、泥まみれの私の容姿を家内が見ると、
テラスでパンでも食べますか、と私に言ったりした。

私は草むしりをした処が小奇麗になっているので、
今、食べたりする集中力が切れるから、と私は家内に言ったりした後、
園児のように夢中で雑草の草むしりに専念した。
          

やがて疲れも余り感じなく、この調子だったら、夕暮れの少し暗くなる5時半ぐらいまで出来きそう、
と思いながら、快調に草を取ったりした。

そして何かと暑さに苦手な私は、こうした曇り空の20数度の中で、
庭の手入れはベストだ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

やがて樹の下をもぐるように草を抜いていた時、雨脚の音が聴こえ、
樹の下んら抜けだすと、雨が降っている・・。

そして家内から、お止めになったら・・、と私は中断した。
私は恨(うら)めしげに、5分ばかり庭に降る雨を眺めて、
本日はここまで・・と私は家内に言ったりは午後3時過ぎであった。

やがて私はお風呂で身体を清めて、温めた後、
居間から庭を眺めたら、なぜかしら雨が上がっていた。

そして庭の半分ぐらい小奇麗になり、達成率は50%かょ、と苦笑したりした。
やがて天上の気候の神々は、老兵の私にドクター・ストップの代わりに、通り雨を降らせてくれたのかしら、
と私は独り微苦笑をしたりした。


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