夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

秋日和の中、私たち夫婦は恒例のように、お墓参りを重ねて・・。

2014-09-23 14:35:31 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であり、
今朝、さわやかな15度前後の快晴の朝を迎えて、
やはり寒さ暑さは彼岸まで、と古人から伝えられている通り、
おだやかな『秋分の日』の朝を迎え、暑さに何かと苦手な私は微笑んだりした。

もとより『秋分の日』は、『祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日』と称せられ、
私たち夫婦も、毎年この日は私の実家の長兄宅に行き、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、辞してお墓参りに行く。

その後は、お寺の境内、墓地は、過ぎし『春分の日』と同じように墓参の人々で多くの方が訪れる。
          
           ☆今回、掲載した下記の写真も含めて、私が散策した昨日の時に撮ったものである☆

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、まぎれなく両親、祖父、叔父、叔母、そして祖先のお陰で、私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、この日の『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをし、
私の母が亡くなって16年目となるが、これ以来毎年の習わしとなっている。
                    

このような心情を私は重ねてきたが、
今朝いつものように朝の9時半過ぎに、私たち夫婦は私の実家の長兄宅に行くと、
いつもは親戚の叔父、叔母さんとは談笑を重ねてきたが、めずらしく来宅されておらず、お逢いできなかったが、
長兄も小用で不在で、長兄の奥さん(義姉)と、私たち夫婦は長らく談笑したりした。

まもなく世田谷区に住む従弟(いとこ)の62歳が来宅され、私はまもなく古希と称される70歳となり、
長兄の奥さん(義姉)は68歳、家内も今年の12月に高齢者入門の65歳となる中、
65歳時に『高齢者』に伴い介護保険、世田谷区と調布市の福祉関係の話題などで長らく談笑したりした。

                    
この後、私たち夫婦も長兄宅を辞した後、少し熱さを感じる快晴の中、
私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』から徒歩数分にあるお寺に向う途中の花屋さんで、
買い求めて、20分ばかり歩いて着いた。
          
          
寺院の境内は広く大きな樹木が数多くあり、秋のお彼岸の中日にふさわしく、ご家族連れが多く賑(にぎ)わい中、
ときおり夏の香りを残すように蝉(セミ)が鳴いていた・・。
やがて私たち夫婦は隣接しているお墓に向った。

お墓を少し清めた後、墓石を水で清め、
途中で買い求めた生前の母が好きだったお花を4束のお花が奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が晴れ渡った空の中を立ち昇る中、
祖先はもとより、亡くなった祖父、父、母、次兄などから、改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。
          

こうした思いを重ねた後、母のおもかげがよぎっていった。

生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。

私の場合は、農家の三男坊として生を受けたが、やがて父が私の小学校の2年の時に病死され、、
その一年半も過ぎない時に祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
そして私は実家から分家のような形で、実家の近くに住んで早や38年が過ぎている。

やがて私が54歳の時に母は亡くなわれたが
ときたま今でも生前の母のちょっとしたしぐさ、言葉づかいが想いだされる・・。

そして秋日和の中、お線香の煙が芳香を残して、
空中の中をゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。
          

この後、私たちは駅前の近くのスーパーで、秋味の整えた具材のあるお弁当を昼食代わりに買い求めて、
運動不足の為に20分ばかり歩いて帰宅したのは、午後1時過ぎであった。

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