夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

♪人生は紙飛行機・・と心の中で唄いながら、老ボーイの私は微苦笑して・・。

2016-01-14 15:33:34 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                         
私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、季節の移ろいを享受している。
                                       

こうした私の根底には、定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして定年後の年金生活を始めた私としては、この家内のささやかな時間を崩すのは天敵と確信し、
平素の買物メール老ボーイを自主宣言したりした。
          

本日も買物をして帰宅した後、いつもように遊歩道、そして小公園などを歩いたりした・・。

冬晴れの中を歩き、やがて小公園に立ち寄り、木のベンチに私は腰を下ろしたりした。

おだやかな陽射しを受けた中、ぼんやりと早くも年金生活は12年生となったが、
定年後の年金生活は、つたない我が人生で何よりも安楽に過ごしているので、
幸(しあわ)せという言葉がこの世にあるならば、こうしたことかしら、と私は微苦笑したりした。
          

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた・・。
しかしながら、この間は幾たびのリストラを何とか通過したが、最後の5年半はデフレ烈風の中、
あえなく出向となったりし、私のサラリーマン時代は悪戦苦闘が多かったりした。

そして年金生活を当初は、解放感で高揚し、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
          

こうした時、若き時期に映画、そして文学青年の真似事を敗退した私は、
情念の残り火のように西行、鴨長明、芭蕉が遺(の)こされた作品に思いを寄せることが多かった。

もとより西行(さいぎょう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人であり、
  ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 『山家集』もある。

そして鴨 長明(かもの・ ちょうめい)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。
『方丈記』が代表作となっている。

松尾 芭蕉(まつお ・ばしょう)は、江戸時代前期の俳諧師。
数多い中で私は、旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、一句に圧倒的に魅せられてきた。
          

しかしながら何かと身過ぎ世過ぎの多い年金生活を数年過ごすと、
日常生活とか幾たびかの旅先に於いては、春夏秋冬の情景、この間の季節のうつろう情景に、
心を寄せて、深めて今日に至っている。

そして人影の少ない遊歩道、小公園などで、今の時節であったならば、
♪さ霧(ぎり)消ゆる湊江(みなとえ)の・・と作詞不詳で文部省唱歌のひとつの『冬景色』を、
かぼそい声で唄ったり、心の中で唄ったりしてきた。
          
そして私は幼年期に農家の児として育てられたので、あの頃に愛惜感があるかしら、と微苦笑したりしてきた。
          

やがて私は帰宅する道を歩いている中、
♪人生は紙飛行機・・と心の中で唄いながら、やがて人影がないを確認した後、
かぼそい声で唄ったりした・・。

この後、どうしてこのような歌を唄ったのかしら、ぼんやりと思い馳せたりした。

やがて家内が朝の8時過ぎ、昨年の秋の頃からNHK連続テレビ小説『あさが来た』を、
居間にあるテレビで視聴している。

私は居間で新聞を読んだりし、ドラマには興味はないが、主題歌を毎回聴いている中、
若き女性の唄声に魅せられ、やがて『365日の紙飛行機』の歌と知ったりした。

そして何よりも魅せられたは、つたない半生を歩んできた私は、この歌詞、人生を的確に巧く表現された、
と微苦笑を重ねたりした。

やがて何かと単細胞の私は、毎回聴いていると心の片隅に残り、
老ボーイの私でも、♪人生は紙飛行機・・と心の中で唄たったと思われる。
          

そして人生は・・それぞれ方は、その人なりに過ごしている、と知人、友人を思い浮かべて、
自宅に向い歩いたりした。

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