わたしは広島の寺院を巡っていますが、お寺の由来・縁起は「知新集」をたびたび参考にします。
その知新集は広島藩地誌「芸藩通志」の編集の下調査書の一つでした、
藩士で文人であった飯田利矩が主任として文政2年から文政5年までの間に整理編集されたものなので、
飯田篤老のことを取り上げないわけにはいかないということで、お墓を訪ねたのです。
このお墓は、爆心地から≒790mで被爆して痛みが激しい墓石でした。
(長遠寺)飯田篤老の墓
「広島ゆかりの人たちのお墓」編
広島ぶらり散歩
その知新集は広島藩地誌「芸藩通志」の編集の下調査書の一つでした、
藩士で文人であった飯田利矩が主任として文政2年から文政5年までの間に整理編集されたものなので、
飯田篤老のことを取り上げないわけにはいかないということで、お墓を訪ねたのです。
このお墓は、爆心地から≒790mで被爆して痛みが激しい墓石でした。
(長遠寺)飯田篤老の墓
「広島ゆかりの人たちのお墓」編
広島ぶらり散歩