坂本龍馬暗殺のことを前回に書きましたが、彼の手紙は実に楽しい。文久三年三月、二十九歳のとき、故郷土佐の姉・乙女にあてた手紙はなかでも、おもしろい。
「扨もへ(長いヘー)人間の一世ハがてんの行ぬハ/元よりの事、うんのわるいものハふろ/よりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。夫とくらべ/てハ私などハ、うんがつよくなにほど/死ぬるバへ出ゝもしなれず、じぶん/でしのふと思ふても又いきねバならん/事ニなり、今にてハ日本第一の/人物勝憐太郎殿という人に/でしになり、云々」
この原文について読者から、実に読みにくい、意味がわからんというクレームがありました。現代語意訳をつけておきます。
「さてもさても、人間の一生は合点の行かないのは、本来のこと。運の悪い者は、風呂から出ようとして、睾丸を桶の縁にぶつけて割ってしまって死ぬ人もあります。それと比べて、わたしなどは、運が強く、死ぬなと思うような場に出ても死にません。自分から死のうと思っても、また生きなければならない次第になってしまい、いまでは日本第一の人物・勝麟太郎先生という方の弟子になり、云々」
キンタマのすぐ後に、師匠・勝海舟のことを記しています。勝は九歳のとき、野良犬に片方の睾丸を喰いちぎられ、危篤状態になりました。龍馬はこの有名な実話を勝本人から聞いたうえで、キンタマのことを手紙に書いたのであろうと思います。
子母沢寛『父子鷹(おやこだか)』では、道に倒れ意識のない麟太郎少年をみつけた町人が、「おう、こ奴あ犬に睾丸を喰い切られた」「えーッ。そ、そ、それあ大変だ」「何れにしてもこのまゝじゃ命にかゝわる。何処の屋敷の子供衆かあわからねえが、とにかく、おいらがところへ運び込もう。」
駆けつけた藪医者は、「この子が後々天下の民に仕合を与える人間になるようなものを背負って生れて来ていれば、わしが放っておいても助かる。生きてこの世に何んの為めにもならぬ子ならば、わしがーいや、天下の名医がこぞって手当しても助からぬ。これが神仏の配剤と云うのじゃ。」
麟太郎の父・小吉は怒り、つぎに呼ばれた医者・篠田玄斎が疵口を縫って一命はとりとめる。しかし少年の重篤は続き、やっと床から離れることができたのは、七十日も後のことでした。その間、小吉は毎夜、褌ひとつの素っ裸で近くの妙見堂まで走り、お百度を踏み、息子の平癒を祈りました。また麟太郎が熱を出すと、冬なのに「井戸水を何十ぱいも引っかぶって、からだを凍る程に冷やして、それでお坊ちゃまを抱いて熱をとったんだから、あなた方、こうきいただけでも涙がこぼれやしょう。」
後の勝海舟、麟太郎少年は、父小吉の一念でもって一命をとりとめました。それにしても男の急所を瞬時に一撃するとは、さすが幕末期の犬はたいしたものです。
文が長くなりますが、キンタマ三話目。江戸の小伝馬町に入牢していた毒婦・お辰(たつ)を海舟自身が尋問しました。江戸開城の直後、龍馬暗殺の翌年のことです。「三十歳あまりの女囚だが、おれはその罪状を聞かうと思って、わざわざ人を払ってその女と差向ひになつて訊問した。ところが、その女は、これまで誰にも話さなかったけれど、安房守様(勝海舟)だけには、お話申しませうと前置をして、さていふには、私の顔の綺麗なのを慕うてか、多くの浮れ男が寄りついて参るので、そのうち、金のありさうな奴には、心を許した風を見せ、○○の時に○○を捻(ひね)つてこれを殺し、金だけ奪ひ取つて素知らぬ顔をして居る。すると、医者が見ても屍体に傷がないから何とも致し方がない。この方法でもつて、これまでにちやうど五人殺しましたと白状した。実に大胆極まるではないか。」
○○はいうまでもない。あえて○○と記した海舟の表現には、彼の恥じらいと同時に、玉コンプレックスを感じてしまいます。
お辰は何ともおそろしい女ですが、勝はお辰ほか二名の囚人たちを「おれの感服した人間が三人ある」と『氷川清話』に記しています。腹上死は脳や心臓の興奮からのみ起こるのではない。医者は検死のおり、キンタマが正常であるかを確認する必要があります。
勝は、お辰の話を聞いて、自身九歳の折の身の毛のよだつ記憶を、思い出したことでしょう。
さて長話しの幕をそろそろ閉じますが、今回の三話はいずれも幕末の江戸のこと。しかし発信は「京都から」なので、お許し願いたい。
<2007年11月11日 南浦邦仁>