江戸時代に書かれた『諸国里人談』の地震話を、現代語意訳で紹介しよう。
若狭国大飯郡浅嶽は魔の場所である。山の八分目より上にはだれも登らない。御浅明神に仕えているのは、人魚であると昔から言い伝えられている。宝永年中、乙見村の漁師が漁に出かけた。岩の上に座っている者を見ると、頭は人間で首周りに鶏冠のような、ひらひらと赤いものをまとっている。また首より下は魚である。男は何心もなく持っていた櫂(かい)を当てると人魚は即死してしまった。彼は死体を海に投げ入れて帰ったが、それより大風が起こって海鳴は七日の間止まなかった。そして三十日ばかりたつと大地震が起こり、御浅嶽の麓から海辺まで地が裂け、乙見村一郷は陥没してしまった。これは明神の祟(たたり)と伝えられている。
八百比丘尼の伝承も興味深い。なお読みは、「やおびくに」あるいは「はっぴゃくびくに」。
若狭国のとある漁村の長者の家で、人魚の肉が村民に振舞われた。村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることを知っていたが、やはり不気味なためこっそり話し合い、食べた振りをして懐に入れ、帰りに捨ててしまった。だがひとりだけ話を聞いていなかった者がいた。それが八百比丘尼の父だった。
父が隠していた人魚の肉を、娘は知らずに盗み食いしてしまう。娘はそのまま、十六か十七歳の美しさを保ち八百歳まで生きた。
京都府綾部市と福井県大飯郡おおい町の県境には、八百比丘尼がこの峠を越えて福井県小浜市に至ったと伝わる尼来峠がある。また八百比丘尼の伝承は能登半島に多いが、日本各地に広がっている。
しかしこの比丘尼伝説には何か欠落している部分がありそうだ。後述の「ハンス」同様、主人公は霊魚と話をし、あるいは魚を助けることによって、特別な力を与えられたのではないか。若狭の娘は、永遠の若さを霊魚に願ったのではなかろうか。
八百比丘尼には地震津波の話がないが、両伝承に登場する若狭の人魚は、人間の言語を話す霊魚すなわち「ヨナタマ」海霊であろう。海神の眷族分身である「物言う魚」である。『宮古島舊史』でも「人面魚体」と記す人魚である。
ちなみに、天正13年11月29日(1586年)に「天正地震」が起きた。甚大な被害は畿内、東海、東山、北陸さらには四国阿波などにも及んだ。400年以上も前のことだが、白川断層と伊勢湾の断層がともに動いたとされ、さらには福井県若狭湾、現在の多原発地帯だが、湾沖の活断層も連動したと考えられる。
天正大地震のことは当時、神道家の吉田兼見が『兼見卿記』に記し、イエズス会のフロイスも報告している。ふたりはともに、若狭を大津波が襲ったと書き残した。
<2014年12月7日 南浦邦仁>