柳田國男は「物言ふ魚」で、ジェデオン・ユエ著『民間説話論』を取りあげている。グリム童話「ハンスのばか」は構造に欠陥がある不完全な童話であるという。その原型は、ユエが紹介している完成形の昔話であるとしている。
霊魚を助けた人間は、願い事、望むことが何でもかなうという不思議な力を与えられる。この伝説昔話は西欧、南欧さらにはロシアに広がっている。またシベリアや蒙古にも痕跡がある。そのようにジェデオン・ユエはいう。以下、グリムが採集した話をユエが補正し、完成させた物語である。
昔、貧しくまた醜く、大馬鹿の若者がいた。彼は釣りに出かけ、不思議な魚をとった。この魚は話ができ、「もしわたしを水にかえしてくれれば、あらゆる願い事がかなう才能を授けてあげましょう」。若者は魚を水に投げかえした。
帰路、王城の前を行く若者の醜さと間抜けた様子に、王女が窓から馬鹿にして哄笑した。腹をたてた若者は、口のなかで「お前は妊娠すればよい!」。すると魚との約束にしたがって、彼の願いはかない、姫は身ごもってしまった。
父の王は訳がわからず怒り、娘を牢に入れてしまった。そして赤ん坊の王子が少し大きくなるのを待って、赤子の父親探しの計画を立てたのである。乳母に抱かれた子を宮殿の広場に置き、町のすべての青年を行列させて進ませるというテストである。子どもは惨めな様子をした醜い若者、この馬鹿な男をだけ指差した。そう、父はこの若者である。
父親はまたも怒り、王女と青年と幼児を、樽に詰めて海に投げ捨てさせた。狭い樽のなかで王女はハンスに聞いた。「どうして知りあいでもないあなたが、わたしの子どもの父親なのですか」。若者は魚の話を語り、かつて窓辺の姫に怒り、はらめと口にしたばかりにこの子が産まれたと言った。
「では、あなたの願いは何でもかなうの?」「樽が近くの海岸に早く着くようにお願いしてよ」。岸に辿りつくと今度は「樽が開くように頼んでちょうだい」
「立派な宮殿がここに建つようにお願いしてよ」。そして「あなたが美しくなるように、あなたが利口になるようにお願いして」。すべて実現するのであった。
国王も王女の智恵で、自らの過ちに気づき和解がもたらされた。そして美しく才気あるようになった若者は、国王の婿となり、その後王位の継承者となった。
グリムの「ハンスのばか」はこの話にそっくりだ。ところが大切なポイントである霊魚が出て来ない。なぜ青年が特殊な能力を得たのか、その説明が欠落している。
また不思議なことに「ハンスのばか」はほとんどのグリム童話集から除外されている。ドイツ文学者の吉原素子、吉原高志両氏によると、この話はグリム童話集の初版にのみ掲載されている。1812年にグリムがカッセルで、ハッセンプフルーク家の姉妹から聞き取った。しかしグリムは「ハンスのばか」を、フランスの話でありドイツの昔話ではないと推測し、第2版以降は省いたと吉原はいう。
ハンスはなぜ不思議な能力を手にすることができたのか? グリムには謎だったのではなかろうか。グリムは、霊魚がハンスに力を与えたことを知らず、この話の決定的な弱点、完成度の低さから第2版以降は削除したのではないか。そのようにわたしは思っている。
ヨーロッパはじめ各地の物言う魚について、柳田國男は次のように記している。現代語意訳で引用する。
近ごろ読んでみたジェデオン・ユエの『民間説話論』にグリム童話集の第五十五篇A、「ハンスの馬鹿」という話の各国の類型を比較して、その最も古い形というものを復原しているが、この愚か者が海に行って異魚を釣り、その魚が物を言って我が命を許してもらう代りに、願いごとの常に叶う力をこの男に授けたことになっている。ユエは出処は示してないがいずれかの国に、そういう話し方をする実例があったのである。私の想像では我国の説話におけるヨナタマも、一方に焼いて食おうとする侵犯者を厳罰したと同時に、他方彼に対して敬虔であり従順であった者に、巨大なる福徳を付与するといった明るい方向があったために、広く日本の東北の山の中まで、物言う魚の破片を散布することになったのではなかったか。もしそうであったならば、今に何処からかその證跡は出て来る。そういつまでも私の仮定説を、空しく遊ばせておくようなことはあるまいと思う。
<2014年12月14日 南浦邦仁>