アヒルはいつから「アヒル」と呼ばれるようになったのか? また誰がこの鳥に「あひる」と名付けたたのか? そろそろわたしなりの答えを出そうと思います。
結論からいえば、16世紀です。そしてもっとも古い「あひる」記載本は、饅頭屋本、辞書『節用集』でしょう。16世紀初めには、アヒルはまだ白鴨と呼ばれています。日記『実隆公記』からみてみます。
〇1503年文亀3年日記『実隆公記』
「高麗白鳧(鴨)申出常盤井殿遣玄番頭許」
高麗王朝は1392年までで、その後は1897年まで李氏朝鮮。通称高麗なのでしょうか。
〇1504年永世元年3月26日日記『実隆公記』
「玄蕃頭送白鴨一双、令進上禁裏」白鴨ひと番いを宮中に献上した。
16世紀早々、『実隆公記』が二度、「白鴨」を記しています。これらはアヒルに違いなかろうと判断します。しかしこのころ、まだアヒルという呼び名はありませんでした。
『実隆公記』は三条西実隆(さねたか)の日記です。20歳から82歳まで、63年にも及ぶ漢文日記。康正元年1455生~天文6年1537没。
実隆は皇太子の家庭教師も経験し、文人・宗祇や肖柏ら民間人との親交も深い。いずれも実隆20歳のころからである。中年以降も交際範囲は広がる。東福寺住持・了庵桂悟の活躍は実隆の推挙によるという。
応仁の乱(1467~1477)とその後の不安定な時代に、後土御門・後柏原の両朝に忠勤を尽くし、正二位内大臣を経て致仕出家後も、当代一の文化人として、その後の近世文化の形成にもつとめた。中世和学を大成し、当代最高の文化人とされた。
しかしそれほどの人物でも、家計の困窮は著しい。57歳日記「家計窮迫して借金すること多し」。72歳日記「家計窮迫す」。支出の多くは、交際費と服飾費という。そして友人の勧めで、内職を始める。最初は固辞したのだが、将棋駒への墨字の書入れである。当然記名はなく、現在まで残っている駒はないが、相当数の駒を作ったらしい。
古今伝授は宗祇から受けた。秋に越後で「宗祇は病に倒れ、再起不能を知ったのか、京の実隆のもとへ『古今集聞書』以下の古今伝授の相伝文書一箱を送り届けた」。終生、実隆を師とし、また囲んだ文化人は数多い。
清原宣賢(のぶかた)は儒学者だが、三条西実隆に学んで注釈書『伊勢物語惟清抄』を著し『新古今注』を残した。国学書はじめ抄物(解説・注釈)も数多い。1475年生~1550年没。父は吉田兼俱で、清原宗賢の養子になった。
清原は『塵芥』で「我が『いろは字』の編纂に際して『節用集』を参照しており」と記している。『節用集』は、当時最も重宝された国語辞典。1474年『文明本節用集』が初版である。その後数百年にわたって、改訂版新版などが数多く刊行されている。清原が参考にした『節用集』は宗二本だったのでしょうか。
宗二は漢学の講授を清原から受け、ふたりは組んで『毛詩抄』や『春秋左氏伝抄』などを著している(両足院叢書)。制作を手伝った甥の林宗和はともに宣賢に学んだ兄弟弟子でもある。
宗二はさまざまの学問、文学に精通していた。彼が公開した講義には、たくさんの人々が集まった。禅録、詩集から「源氏物語」「伊勢物語」……。講授には五山の僧はもちろん、堂上の公卿まで、こぞり集まり聴聞した。「天下無比之名仁」<多門院日記>、「名誉ノ内外ノ和漢ノ学者」<見聞愚案記>などと絶賛された。
宗二が作成した抄物や本、そのほとんどが建仁寺の塔頭・両足院にいまも、収蔵されているそうです。両足院の設立は林家による。
それと書写用の部屋ですが、宗二の部屋は烏丸三条不休庵という。三条西実隆の屋敷内にあったのではないかと思います。
「アヒル」誕生は、16世紀なかば。林宗二(りんそうじ)が制作した『饅頭屋本節用集』が初出に間違いないようです。宗二(生年1498年~1581年没)の生没年からみて、宗二『節用集』の16世紀なかばであろうと思います。
古今伝授は肖柏から受けた。また連歌師同様に肖柏から。和学は『源氏物語』を三条西実隆に学び、宗二は『源氏物語林逸抄』54巻を著した。
日記『実隆公記』に白鴨が2度記載されていますが、宗二は実隆公からこの鳥の事を聞き、また実物を見たのではないか? 『節用集』の中で、すでに室町期に家鴨を「アヒル」としている本が『饅頭屋本 節用集』です。「家鴨」にルビ「アヒル」と明記されています。この本は宗二の制作であろう。わたしの確信です。
「饅頭屋本」とは、なんともけったいな書名です。林宗二家の本業が饅頭屋ですので、そのように名乗った? しかし不自然と思います。彼の扱った饅頭は、日本ではじめて作られた高級菓子「塩瀬饅頭」です。駄菓子とは異なります。立派な和菓子ですが、プライドもあったでしょうが、饅頭屋本と名乗る必要があったのでしょうか。わかりません。わたしは今後、『宗二本 節用集』と呼ぶことにします。
またいまでいう出版社ですが、「南都の書誌饅頭屋宗二」と呼ばれておったらしい、という話もあるようです。
〇林宗二についてもう少し見てみましょう。と書き始めましたら、ピンポ-ンと玄関に客です。出てみると宅配便で、日本の古本屋に注文していた本が届きました。
『文明本節用集』「研究並びに索引・影印編/全2冊・中田祝夫著・風間書房刊・昭和45年刊」。最も古い『節用集』の影印版です。
一読して驚きました。驚愕です。
『文明本』に「アヒル」が載っているのです。これまで『饅頭屋本節用集』がアヒル掲載の最古本とされていました。ところが、最も古い節用集『文明本節用集』にアヒルが出ているという指摘は、だれひとりからも、ただの一度もありませんでした。一読すればわかることなのに不思議です。
〇原文は「下鴨 アヒル」(カナはルビ)
記載は鮮明です。しかし「下鴨」とはなにでしょうか?
不明だらけです。本日休止。
<2024年11月26日>