ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

あひる余話(5)渡来と命名

2025-01-11 | Weblog

 大陸や半島から、この鳥は人間に連れられて、渡来したのは間違いありません。それならいつころのことでしょうか? また鳥の呼び名は、どのように変遷してきたのでしょうか? 前話文と重複もありますが次回文のため。ご容赦ください。

 

(1)最も古い記録

 918年『本草和名』の「鶩」ボク、「鶩肪」ボク。930年代『倭名類聚抄』もほぼ同様の記述です。ボクは中国詠みで、日本語「アヒル」と呼ばれ出すのは、500年以上も後の事です。その長い期間、和名アヒルは、日本におったのでしょうか?『類聚抄』には「家鴨」(ボク・いえかも)ともありますが。

 しかしこの文章だけで、アヒルがこのころ日本にいたとは断定できません。中国の文典からの引用の可能性もあります。。

 ところで、この鳥の飼育での難問は、前述の通り、孵卵と雛飼育の作業です。飼育には習熟した「鳥養人」が必要です。繁殖のため、彼ら専門職が同行で招かれたはずです。

 古くは雄略天皇のとき、ガチョウも同様で、育雛飼育専門の「養鳥人」が鳥二羽と共に渡来しています。

 

(2)『枕草子』   

 清少納言(966~1025)は『枕草子』にたくさんの鳥話を記していますが、雀の子の話は興味深い。「胸のどきどきするもの/雀の子を飼う」。このような感性の清少納言が、アヒルのよちよち歩きの幼子を目にしたら、仰天したかもしれません。尻を振りながら、よちよち歩く鳥を「舒鳥」ジョチョウと呼びます

 よちよち歩きに感動する清少納言です。もしアヒルの舒を見ていたら、動顛したはずです。ですので、平安時代には、日本でアヒルが飼育された記録はないのだろうと考えています。

 

(3) アヒルの古名。

 15世紀以降、1500年ころまで、この鳥の呼称は以下の通りです。なお11世紀から14世紀まで、鶩ボクの字は見当たりません。「ボク」(あひる)は居なかったのでしょうか。不思議です。

 この間の呼称をみてみます。1233年「唐の鴨」(13世紀?。例外か?)、1436年1490年1504年「白鴨」/1503年1504年「高麗白鴨」

 

(4)「アヒル」登場

 「アヒル」と呼ばれるのは織豊時代以降、当たり前の呼び名になります。江戸後期までの名を紹介します。前回との重複記載はご容赦を。

 

1474年『文明本節用集』「下 鴨アヒル」

16世紀前半から半ば 『饅頭屋本節用集』「家鴨アヒル」

1587年 『御湯殿上日記』「きよ水のくわん。あひるひとつかいしん上す」

1603年 『日葡辞書』「AFIru」(家鴨/アヒル)

1649年 『多識篇』林羅山「鶩/安比呂」(あひろ)

1669年 『増刊下学集』「鶩・アヒル/唐ノ鴨也」

1694年『和爾雅』貝原好古「鴨/ア・ヒロ」

1697年『本朝食鑑』人見必大「鶩/俗に阿比留という」

1708年『大和本草』貝原益軒「鶩/訓アヒロ」「家鴨と云、又匹(音ボク)と云、鴨(音アフ)の一字ヲ<訓アヒロ>トヨム。」

1712年 『和漢三才会』「あひろ(家鴨)は人家に多く」

1719年 『東雅』新井白石「アヒロとはアは足也。ヒロは潤也。」

<2025年1月11日 次回を連載「アヒル」最終回にします>

 

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