水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄-《旅立ち》第十三回

2009年03月01日 00時00分00秒 | #小説

       残月剣 -秘抄-   水本爽涼

        《旅立ち》第十三回

 椀を差し出す行商の男を見て、常松は、ふと思った。過去に、どこかで出会った覚えがある。いや、それは、明確にそうだ! とは推断できぬ、薄ぼんやりとした虚構の世界でしかないのだが…。
 当然ながら、いつ、どこで出会ったのか…迄は思い出せない。何かの縁日の最中(さなか)、露天の屋台で出会ったのか…。また、そうではなく、源五郎と話をしながらの帰路、通りすがりに偶然、出会った男なのか…、その辺りのところが明確に記憶に残ってはいないのだ。しかし、一度や二度ではなく、幾度となく違う場所で出会っているふうに常松には思えた。
 渡された冷し飴の木椀が陽射しで光っている。その黒漆の木椀を口に近づけ、味わいながら喉に通す。甘露な味覚が舌先から胃の腑にかけて流れる。飲みつつ常松は、ふたたび行商の男を垣間見た。しかし、やはり思い出せない。思い出せない以上、まあ、それほどの男なのだろうと思え、残りの飴を一気に飲み干した。脇腹から袴にかけて広がっていた汗が、一瞬、鳴りを潜めた。


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