水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄-《旅立ち》第十四回

2009年03月02日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《旅立ち》第十四回

「以前、どちらかで…お出遭いしては、いませんか?」
 椀を返し、立ち去ろうとした左馬介は、歩を止めて訊ねていた。男は笑いながら、
「はぁ…。儂(あっし)らは、アチらコチらと動いてやすから…。どこぞで、お出遭いしてるかも分かりやせんねぇ。そいじゃ…」
 と云うと、屋台じみた桶を担いで歩き始めた。常松も、その返答に幾らか得心めいて、母に頼まれた豆腐を買いに、道を小走りした。
 土塀伝いに進んで、町人街筋の路地に入ると、俄かに人の気配が増した。手に持った空の鍋が、妙に軽かった。
 豆腐屋の暖簾を潜ると、店の親父に木綿豆腐を切り売って貰い、まず十四文を払った。続けて、油揚げを一枚、包んで貰うと五文を支払った。母には、きっかり十九文を手渡されていた。
「坊ちゃん、気をつけて帰りなせえよ…」
 豆腐屋の親父の声を背に店を出る。常松の両腕は、鍋に入った豆腐と、その上に乗せられた紙包みの油揚げの所為(せい)で幾らか重くなった。豆腐は重みを、油揚げは落とすまい…という気分の重みを与えたが、そこはそれ、日々の剣術の鍛錬がも
のを云う。左馬介にとって、それほど苦になる重みではなかった。


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