残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《旅立ち》第十六回
源五郎は、相も変わらず白川夜船である。常松も畳に座したまま何もせぬというのでは寛(くつろ)げず、退屈この上なかった。そこで、兄の隣へ寝添ってみた。幸い、前の森から庭へ、そして庭から廊下伝いに風が戦(そよ)ぎ込む。森の中で充分に眠っていた風は、灼熱の日中にも冷涼な空気を部屋内へ送り込んでいた。
不意に源五郎が寝返りを打った。常松は、まだ寝入ってはいなかったから驚いて上半身を立て、跳ね起きた。その時、源五郎が目覚めた。
「ん? …常松、帰っておったのか?」
寝惚け眼(まなこ)で薄目から完全に眼を開け切るまでには、暫くの間 (はざま)があった。そして徐(おもむろ)に、源五郎は左手を差し出した。
「昨日の五文、悪いが返してくれ。急な入り用が出来てな…」
源五郎は悪戯笑いをしながら、そう告げた。常松は予期せぬ言葉に窮した。まさか、そんなことを今日の今、云われるとは思ってもいない。それに今は、先程の冷し飴で、布巾着に鐚銭(びたせん)一枚しかなかった。
「実は、な…。兄上に返さなければいけないのだ。朝方、出掛けに催促されてなあ…」