あああ…坪倉は呻(うめ)きともつかない声をあげていた。頭がどうかなりそうだった。
━ よし! ひとまず眠ろう…。俺は疲れているんだ…すべては幻影だ…すべてが… ━
坪倉は深い眠りへと落ちていった。
いつの間にか夜になっていた。薄闇がベッド前の窓ガラスに見てとれた。坪倉はベッドから出ると、もう一度、窓下に広がる景色を見た。眠る前と同じ、昨日(きのう)までと変わらない近隣の住宅屋根が見えるばかりだった。寝室を出て階下へと戻り、口を漱(すす)いだあと、美郷の手料理を味わった。
「あなた、もう大丈夫なの?」
「ああ…やはり疲れてたんだろうな。長い夢を見たような気分だよ、ははは…」
坪倉は笑い捨てて、すべてを忘れようとした。それで今朝からの不可解な出来事は、なかった…と思いたかった。しかし、その坪倉の思いは次の朝、無残にも打ち砕かれた。
「行ってくるよ!」
玄関で声をかけたが妻の美郷(みさと)の返答は小さく、「は~い」である。ただ、それだけである。20年も前は、こんなじゃなかった…と鬱憤(うっぷん)を募らせながら坪倉満は家を出た。おやっ? 昨日もそう思ったったはずだ…と気づいたが、そのままにした。そして、ガラッ! っと表戸を開けて驚いた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第296回)
「お初にお目にかかります、岸田です。あとの連中は同じ研究室の者で…」
「私、研究室の山盛と申します」
教授は背広の内ポケットから名刺入れを出し、その中の一枚を室川の姪に渡した。
「わあ! 大学の先生ですか?! 私、みどりと申します、ご贔屓(ひいき)に!」
愛想よく、みどりが言った。
「客足らいが馴れておられますね!」
但馬が教授の横から補うように言う。
「ははは…こいつは斜め向うのスナックのママやってますから」
室川が事情を説明した。
「なんだ! 道理で…」
但馬は言ったあとジョッキを手にし、山盛教授は無言で頷いた。後藤は一人だけ浮いた形で、飲み食いを繰り返していた。彼はまったく他の者の話には興味を示さず、自分のペースを守っていた。突き出しは相変わらず鳥笹身の味噌漬け焼きで美味だった。店の突き出しが昔とちっとも変わらないことに何故か心の安らぎを覚える保だったが、後藤のように味あわず腹へ詰め込む食いっぷりには無性に腹が立った。
小一時間が瞬く間に流れ、散会となった。店からは各自で帰る・・とは、暗黙の決め事になっているようだった。
「有難うございました!」「また、お越しを!」
天宮が教授から金を受け取り礼を言うと、室川が続いた。四人は一人ずつ暖簾を上げ外へ出た。