水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

疲れるユーモア短編集 (40)真似(まね)

2021年03月21日 00時00分00秒 | #小説

 人が真似(まね)をするとは、自分以外の物に成り切ることである。真似がその物に似ていれば似ているほど、要するに、精度が高ければ高いほど、上手(うま)いっ! と他人からもて囃(はや)されることになる。個人が持つ一つの才能で、極(きわ)めれば職業にもなる。ただ、食べていけるだけの収入を得られるか? は世知辛(せちがら)い今の社会では疑問である。^^ 動物の場合だと擬態(ぎたい)とか言うそうで、命を繋(つな)ぐ上で重要な手段となる。
 真似は飽くまでコピーであり、オリジナルではないから、疲れることがないか? といえば、実はそうでもない。^^ 結構、疲れるのである。真似をして疲れるのだから、これはもう、どうしようもない。^^
 とある古民家(こみんか)の近くに新しい一軒家が建った。古民家の主人、紙袋(かみぶくろ)は一変した外の景観に一時は唖然(あぜん)とした。だが、唖然としていても景観が変わる・・という性質のものでもない。そこに思い至った紙袋は、古民家を新しくリフォームすることにした。
今風の家の真似である。
「旦那、これでよろしゅうございますかっ?」
「おっ! 棟梁(とうりょう)、ご苦労だったねぇ~。支払いの釣りはいいから、皆でやってくんなっ!」
「へいっ! 有難うございますっ! ごち、になりやすっ!」
「家の中はそう変わらんが、どうなんだろう?」
 棟梁が帰ったあと、工事が終わった古民家の外観を眺(なが)めながら、紙袋は、しみじみと漏らした。これ以降、紙袋は益々、気分が疲れることになるのである。
 他の真似をせず、アイデンティティ[主体性]を維持(いじ)すれば、心身ともに疲れることはない。^^

                   完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする