大人になれば邪気(じゃき)が増し、疲れることも多くなる。アレになるだろうからコレか? いやいや、コレじゃなくソレになるかも知れん! …とすれば、ナニかっ! などと気を回し、気疲れする訳だ。^^ そこへいくと子供は無邪気で疲れることがない。邪気なく何も考えないから気疲れせず、遊び回れる訳だ。まことに羨(うらや)ましいかぎりだが、私もご幼少の砌(みぎり)はそうだったな…と記憶している。^^
ということで、今日は疲れる原因となる邪気について、少しお話してみようと思う。^^
とある家庭の一コマである。今年、一年生になった孫の星矢(せいや)と庭の縁側(えんがわ)で遊ぶ祖父の星太郎の姿がある。
「星ちゃんはアレかい?」
「んっ!? アレ? アレってアレ?」
「ああ、そのアレだよ」
「アレはソレじゃないから嫌(いや)なのっ!」
「なんだ、ソレじゃないから嫌なのか…。だったらソレに変えたらいいのかい?」
「うんっ! ソレならいいよっ!」
「そうか…ソレで手を打ってくれるんだ」
そう星太郎が言うと、星矢は「うんっ!」と応じ、無邪気に手をパチン、パチン! と叩(たた)いた。星太郎も孫に従うようにパチン、パチン! と手を叩いた。いつしか星太郎の邪気は失(う)せ、無邪気になっていた。
邪気は増せば増すほど疲れるが、無邪気には案外弱く、消え去るようである。^^
完