水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

疲れるユーモア短編集 (48)邪気(じゃき)

2021年03月29日 00時00分00秒 | #小説

 大人になれば邪気(じゃき)が増し、疲れることも多くなる。アレになるだろうからコレか? いやいや、コレじゃなくソレになるかも知れん! …とすれば、ナニかっ! などと気を回し、気疲れする訳だ。^^ そこへいくと子供は無邪気で疲れることがない。邪気なく何も考えないから気疲れせず、遊び回れる訳だ。まことに羨(うらや)ましいかぎりだが、私もご幼少の砌(みぎり)はそうだったな…と記憶している。^^ 
 ということで、今日は疲れる原因となる邪気について、少しお話してみようと思う。^^
 とある家庭の一コマである。今年、一年生になった孫の星矢(せいや)と庭の縁側(えんがわ)で遊ぶ祖父の星太郎の姿がある。
「星ちゃんはアレかい?」
「んっ!? アレ? アレってアレ?」
「ああ、そのアレだよ」
「アレはソレじゃないから嫌(いや)なのっ!」
「なんだ、ソレじゃないから嫌なのか…。だったらソレに変えたらいいのかい?」
「うんっ! ソレならいいよっ!」
「そうか…ソレで手を打ってくれるんだ」
 そう星太郎が言うと、星矢は「うんっ!」と応じ、無邪気に手をパチン、パチン! と叩(たた)いた。星太郎も孫に従うようにパチン、パチン! と手を叩いた。いつしか星太郎の邪気は失(う)せ、無邪気になっていた。
 邪気は増せば増すほど疲れるが、無邪気には案外弱く、消え去るようである。^^

                   完


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