私も若い頃は、よく山へ登らせていただいた。馬鹿と阿呆(あほう)は高い所へ登る・・と言われればそれまでだが、^^ どういう訳か、頂上を極(きわ)め、雄大な下界の景観に触れると、また登りたくのは不思議といえば不思議だ。行程前半の登りの緊(きつ)さに思わず、もうダメだ…と音(ね)を上げかけるが、それでも、『もう少しで頂上だっ!』と叱咤(しった)され、めげないで頂上を極める訳である。爽風が衣類の汗にひんやりと沁(し)み込み、下界の展望が開けたとき、ドッ! と身体の疲れや息苦しさが消え去る・・これこそ登山の醍醐味(だいごみ)なのである。めげないと、こんないいことが待っているのだ。これは自分との戦いで人が相手ではない。耐える力が、その後の本人の生きざまにプラスすることは間違いがないだろう。加えて、足腰が鍛錬(たんれん)されるから、老後に慌(あわ)てて歩き回る必要もなくなり、腰のヘルニアとかを患う心配も多分に減るという一石二鳥、いや、一石三鳥、四鳥…の効果もあったと私は回想している次第だ。^^
ここは北アルプスの上高地である。とある二人の若者が小梨平から徳沢を目指して歩いている。山道の左を流れる梓川の支流の冷えた湧き水を水筒に注ぎ、ひと口飲めば、これはもう、至福である。
「…フゥ~! ここらで、ひと休みするかっ!」
「まだバス亭から10分だぜっ! こんな平坦地でバテかよっ! めげずに徳沢まで行くぜっ! 横尾の屏風岩からは緊い登りだっ!」
叱咤したものの、口とは逆に身体がめげ、言った若者は腰を下ろしていた。
「ああ…」
言われたもう一方の若者は、水筒の水を、さらにひと口飲むと、ふたたび元気に歩き出した。
「待て、待てっ! やっぱり休もう…」
𠮟咤した男は完全にめげていた。
このように、登山のめげない原動力に言葉は必要ないことが分かる。^^
完