今年で52才になる漆原(うるしばら)は、とある会社に30年勤めるベテラン社員である。だが、出世競争には縁遠く、同期入社の社員達にも置いてけ堀にされ、今ではベテランでありながら唯一の平社員だった。
今日も周りの若手社員から遠慮気味に声を掛けられていた。
「漆原さん、部長がお呼びです…」
部長の竹林(たけばやし)は漆原と同期入社だったが、出世競争にはどういう訳か縁深く、すでに次の人事異動で常務取締役の執行役員に内定していた。そのことを小耳に挟んだ漆原だったが、変わることなくめげることなく勤務していた。というか、すでに漆原は出世に無頓着になっていたから、めげないのも当然と言えた。
「はい、ありがとう…」
礼をする理由もなく、漆原は若手社員にそう返していた。
漆原が部長室に入ると、竹林が優雅に扇子(せんす)をパタパタと煽(あお)りながら美人秘書が淹(い)れたコーヒーを飲んでいた。
「おっ! 漆原さん、待っていたよ。どうだろっ!? 次の異動なんだが、監査室の室長のポストが一つ、開いたんだがね…」
「私を、ですか? 部長」
「ああ、君を、だ。むろん、了解願えれば、の話なんだがね…」
「有難いお話ですが、管理経験のない私には重荷です。残念ですが…」
漆原は同期の竹林の申し出を、出世欲の誘惑にめげないで断った。というか、漆原には本当に自信がなかったのである。
出世は出世欲にめげないで働いていると、割合、向こうの方から近づいてくるようだ。^^
完