⑤今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――宗久(そうきゅう)*1はわれにかえり、おのれの失言に気づいた彼は若年の頃から戦乱のうちで生きてきたので、度胸はすわっているが、独裁者の衿持(きょうじ)に触れたときのおそろしさも、充分承知している。「愚老が年甲斐ものう、つまらぬことを口走り、お耳をけがせし段、平に御容赦召されま . . . 本文を読む
④今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――秀吉は弘治二年(一五五六)に、中間(ちゅうげん)、小者(こもの)という低い身分で信長に奉公してから、天正二年(一五七四)、長浜城主に就任するまで二十年に満たない期間に破竹の出世をしている。いかに戦国乱世の時代であるとはいっても、稀なケースだといえよう。秀吉は運気の強い人物であ . . . 本文を読む
③今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――秀吉が信長の愛妾(あいしょう)、吉野に気にいられたのは、彼女の機嫌をとりむすぶのが巧みであったからだ。生駒屋敷の浪人たちは、秀吉の才覚におどろかされて、噂をする。「秀吉の口巧者め。吉野さまの御前に出でしときもはばかりなく、人のロにいたしかねたる色話をば、いささかも恥と思わず、 . . . 本文を読む
②今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――秀吉がこのときまで松下の家来として勤仕しておれば、主人とともに家康に仕えることになったか、職をはなれたか、どちらにしても出世の道はふさがれたであろう。松下家に残ってももちろんとるにたらない陪臣(ばいしん:家来)として、歴史の表面にあらわれる機会にめぐりあうことなどは、なかった . . . 本文を読む
①今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――秀吉が信長や家康と対照的なのは、家筋である。先祖の身分があまりにも開きすぎているからだ。信長の先祖の織田氏は、越前国丹生郡織田荘の織田剣神社の神官の出身。その末裔は尾張守護の斯波氏(しばし)に仕えて守護代となり、父信秀は清洲織田家の家老であった。家康の先祖は三河国賀茂郡松平郷 . . . 本文を読む