みなさんが研究すべきことが、もう一つあります。不幸な人を観察、研究するより少し難しいことです。それは、成功している人の研究です。
これは大事です。ただ、少し難しいのも事実です。なぜならば、成功している人は、みなさんよりも何かの点において優れていることが多いからです。技能において、あるいは知識、経験など、いろいろな点において優れていることが多く、そういう優れた人の境地を推し量るわけですから、かなり難しいものがあることは事実です。
しかし、まず、こうした成功している人に対して、取らねばならない態度があります。それは、こういう人に対して、決して嫉妬しないということです。あるいは、決して、批判したり、やっかみ半分のことを言ったりしないということです。これは大事なことなのです。
多くの人たちの相談を聞くにつけ、見るにつけ、その人たちが成功しない理由が、よくわかることがあります。優秀だと思える人ーー自分もそう思っているし、傍目から見てもこの人は優秀だと思える人が、成功しない理由というのは、突き詰めていくと、たいてい、この一点になることが多いのです。
それは、要するに、自分より優れている者、強い者に負けたくないという気持ちがあって、成功した人の、その成功にケチをつける心が必ずあるということです。こういう心のある人が、残念ながら、優秀であっても成功しないのです。やがて失敗していきます。
それは、本人自身にはわからないのです。どうしても、それがわかりません。他の人が成功しているのを見て、「あれは、きっとうまいことをやったに違いない」と言います。そのように思います。しかしながら、そう思ってしまったら、決して自分の問題にはならないのです。他人が成功しても、「それは、どこかでうまいことをして、そうなったんだ」と思うだけであったら、自分の発奮の材料には、いっさいならないのです。おわかりでしょうか。
「あいつはたまたま運がよかったんだ」「あいつは要領がよかっただけなんだ」などという言葉を使うことがよくありますが、こういう言葉は、これから幸福になっていこう、成功していこうと思う気持ちがある人は、絶対に使ってはなりません。
他の人が成功したことを、その人の努力以外のそうしたものに帰してしまおうとする心、そして自分とは関係ないとする気持ち、これはなくさなければなりません。こういう気持ちがあると、ケチをつける卑怯な心があると、成功した人のいいところを学ことができないのです。
成功者といえども、完全な人格ではないでしょう。自分のほうが勝っているところもあるかもしれません。しかし、現に成功した人がいたなら、成功者は成功者として認めて、そのなかから参考になるところを学んでいくーーこれが自分も成功していくための方法なのです。
その人にケチをつけ、批判したところで、一時的な気休めにはなるかもしれませんが、自分が幸福になることもなければ、成功することもありえないのです。嫉妬心はいちばん危険です。断じてこれを排除せねばなりません。これが、多くの人が成功していけない理由なのです。
「判官びいき」という言葉もあります。負けた義経、そういう敗者の側をひじょうに愛する気持ちです。弱い者、失敗する者を愛する気持ちーーこれは、正義の観点から見て正しいこともありますが、幸福理論からいくと、失敗する人ばかりをかわいがる気持ちがいつもあると、自分もいつしか不幸を愛していくようになり、決して成功できなくなっていきます。
弱き者、失敗した者に対する慈しみ、同情というものは大事なことです。しかし、それが自分自身の心の傾向性になってはなりません。そうであっては、真に向上することはできないのです。やはり、成功していく者、強き者、立派な者から学んでいくという気持ちが大事なのです。
戦後、日本が成功した理由はいくつかあるでしょうが、敗戦というものをきっかけとして、まず反省をしました。そして、自分たちのやり方が間違っていたということを認めたうえで、アメリカを恨むのではなく、日本をアメリカのような国にしたいと願って、それを求めていったわけです。アメリカを追いかけていったのです。
「ああいう国になりたい。ああいう国民になりたい」と願い、努力していった。負けたことによって、決して恨まなかった。むしろ、アメリカを先輩として見習い、ついていこうとしたーー。それが、日本の成功のいちばんの原動力であったと私は思います。
「アメリカが原爆を落としたから、日本はだめになったのだ」というようなことを言いつづけていたならば、日本は決して繁栄しなかったと思います。そうではなくて、反省ということをてこにして、「よし、ああいう強い国があるならば、自分たちもそうなってみよう」と努力したことが、成功の秘訣の一つであったと思うのです。
これは、個人においてもまったく同じことが言えます。ですから、現に成功している人、幸福な人を見たら、その幸福を減ずるようなことは、断じてしてはなりません。その人の幸福を、成功を、「おめでとう」と言える気持ちで接しなければなりません。そうであってこそ、初めて謙虚に学ぶということができるようになってくるのです。
自分は失敗して、他人はうまくいったとき、まず、その人の悪口を言うことだけはやめましょう。いや、それだけではまだ足りません。やはり、その人を褒めなければいけません。その人を褒め、祝福する。そして、「立派な姿を見せていただいて、ありがたかった」という感謝の言葉を述べる。そうであってこそ、初めて、自己の学びになり、自分の進歩になっていきます。
自分がそのようになりたいならば、そのイメージというものを肯定することです。それによって、自分はそのようになっていけるのです。
たとえば、自分が何かに失敗したとします。事業なら事業で失敗したとします。やがて、自分の子供が大きくなって、自分と同じく事業を始めるとします。そのときにも、似たようなこと、同じようなことが言えるのです。
自分が失敗したからといって、「事業というものは失敗するものだから、おまえがやっても、どうせ失敗するよ」と言うような親のもとで育った子供は、同じく失敗する可能性がひじょうに強いのです。
しかし、「私は失敗したけれども。世の中には成功している人が大勢いるよ、事業は成功することがあるのだ。おまえも、よく学んで成功しなさい」と言うような親のもとでは、子供は成功者になっていきます。そういうものなのです。
つまり、親が子供の失敗を望んでいるか成功を望んでいるか、それが関係するわけです。もし子供の失敗を願っている親だとすると、子供はみごとに失敗していきます。そして、子供の失敗によって、親はさらに苦しい思いをしていくことになります。無意識下では、このようなことがいくらでもあるのです。気をつけねばならないことです。
---owari---
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