広島の公教育を生徒として、親として、体験された方々の体験に基づく証言。
前号「閉ざされたクラスルーム」には、たくさんの感想メールをいただいています。その中で、特に広島の公教育を生徒として、親として、体験された方々の証言を「すべて、かつ全文」ご紹介させていただきます。まずは事実を正確に把握することが本講座の基本方針ですので。
(他県から来た私には極めて異常な光景)
私は長崎県から高校2年生のときに広島市内の公立高校に転校し、そこで2年間を過ごしました。1975-76年のことですが、当時の高等学校にすら、現在の状況を生み出す下地があったように思えます。
広島県は、平和教育を非常に重視しているのですが、「平和」に対して議論することは一切許されていませんでした。ただ、教師の教えるとおりに、「反戦・平和」を唱えることだけが許されていたのです。しかも、同じ被爆地である長崎から来た私に対して、「そう言えば長崎にも原爆は落ちたな」と言い放つ生徒もいたのです。
この他同和問題の研究も盛んで、「狭山事件」が教材として使われていました。これも一方的な解釈しか許されませんでした。「平和」「平等」の名の下に、全くのお仕着せ教育が行われ、生徒も表だっては反論しない。他県から来た私には極めて異常な光景でしたが、その後も改善されるどころか悪化していたことを知り、驚きはしましたが、同時に「やっぱりね」との感想も持ちました。
(長男は、広島県の誤った公教育の犠牲者)
福山市在住の主婦です。16歳・中2・小6の3人の子どもがいます。我が家の長男は、中学のころから本格的にいじめを受ける側に立たされていましたが、学校側は起きた事を電話で報告するだけで何もしてはくれませんでした。
中3の2学期から不登校になり、どうにか公立高校にもはいれたのですが、高校生活にうまく溶け込めずにいる子に対してここでも学校側の対応は冷たいものでした。長男は、3か月で高校中退の道を選び、現在大検を目指していますが、勉強はあまりはかどってはいない様子です。
親も子もさんざん苦しみ抜いて、私の育て方や子どもの性格にも問題があったのだろうかといろいろ思い悩んだりもしましたが、この記事を読ませていただいた今日ただいまから私は、自分たちを責めるのはやめにします。長男は、広島県の誤った公教育の犠牲者なのだと、確信することができました。ほんとうにありがとうございます。よくぞ書いてくださいました。
小6の次男の同級生の大半は塾に通い、中学受験をして私立に進む子も多いのですが、我が家のように住宅ローンに追われる家計ではそれもできません。日本は豊かな国のはずなのに、教育の機会は均等ではないのですね。
この事実を、もっともっと多くの人に知っていただきたいと思っています。
(どんなに努力しても学校は認めてくれない)
福山市出身の大学生です。これは、私が学生当時から常に不満に思っていた事です。その結果、私はどんなに努力しても学校は認めてくれない、そんな勉強なんかやってられるか!と考え学校の勉強は完全に無視し、努力の結果が反映される塾と模擬試験に偏重した勉強をするようになりました。福山市の教育は、平等な教育と言ってますが公立なら高校までも下にあわせた平等な教育です。
しかし、よく言ってくれました。私の郷土と母校が素晴らしい学校になる事を望みます。
(廊下を殴られず歩く方法を習得します)
大ショック!!! こんなにひどいとは!!!
ひどくなったとは聞いていましたが、なにしろ、私の父は広島市内の公立高校の元教諭ですので。幸いなことに父は日教組なんかではありません。
私は10年間商社で働いた後、現在米国の大学院(ビジネス・スクール)に在学中です。もちろん、広島市出身で、70年代後半を、旧市内の公立中学、公立高校ですごしました。私も、こんなになる下地がそのころからあったと思います。
私の中学には日教組の先生が多く、子供心に、「この先生達、なんか変だな。」と感じていました。もちろん、日の丸や君が代や成績順位はありませんでした。でも、子供の私はまっさらなので、それは、普通のことと受け止めていました。
今考えると、ぞっとします。まっさらな子供を洗脳するのは、とても簡単ですよね。新興宗教なら避ける手もありますが、通ってる学校の先生では避けようがありません。そのころは、そんなことより、目の前の暴力をどうやってかわすかが重要でした。
新入生のころは、みんな、廊下を歩くだけで殴られました。なにしろ、広島の危険だった歓楽街がすべて学区内でしたから、いろんな中学生がいました。
番長とそのグループ
スケバンとそのグループ
朝鮮人系の不良グループ
米軍岩国基地系のハーフの不良
全国的に有名な広島やくざのご子弟
クラスメートの女の子は母親の指示でピルを常用し、
伝統的な長いスカートで町を闊歩し、
男子の不良グループは広島狭しと走り回って、
ヌンチャク振り回して、
ケンカにあけくれていました。
ただ、陰湿ないじめみたいなものは記憶にありません。それ以外はなんでもあり。中学2年生になるころには、恐ろしいことにこれにも慣れてきます。廊下を殴られず歩く方法を習得します。
日教組と不良に囲まれた中学生生活で、私は「これじゃあいけん」とがんばって勉強し、そのころ、難しかった公立高校に入学しました。
いまでは、中学時代の日教組の悪影響は払拭され、長野オリンピックの開会式のときには、こちらアメリカでTVで見ながら、大声で「君が代」を斉唱し、天皇陛下のお言葉のときには、テレビの前で正座拝聴し、金メダルの「日の丸」に涙しておりました。最近は、チベットの学生の影響で「チベットに自由を!!!」と叫んでいます。
うだうだ書いてしまいましたが、この「閉ざされたクラスルーム」にはショックを受け、かつ、全面的に賛成します。科目でも徒競走でも皆勤賞でも1番になったら、誉めてあげたいじゃないですか。「おまえが一番よくがんばった」と。
私の故郷の教育レベルがもとに戻ることをこころから祈り、私でできることがあればどんどんやっていく所存です。
(教師を守る物はない)
私の学校(高校)では、授業中生徒が漫画を読み、菓子を食べ平気で歩き回る。それでも毎日、先生方は注意をするが、物を投げつけられ、どなられ、車をつぶされ、いたずら電話がきて、時には殴られる先生もいる。教師を守る物はない。
しかし、親ですら子供をおさえることはできず、町で高校生がたばこを吸っていたとしても、誰も止める人間はいない。
(連絡帳のコメントまで、思想チェックのようなコメント)
福山在住の父親です。この内容は、右翼だからとかサンケイ新聞だからと言うことで、終わらせるべきものではありません。子供の参観日に行けば毎回人権問題ばかり、そして、社会見学は、原爆ドーム、夏の宿題は戦争の問題、原爆の問題、何か、思想教育と言ってもいいような内容ばかりです。そして、先生からの連絡帳のコメントまで、思想チェックのようなコメントまであります。これを持ってなんというでしょうか。
もちろん、先生の個人差が大きくあるし、その学校の組合の程度とか、筋金の入った思想の持ち主がいるかどうかにもよります。親たちは、なんか変だと感じながらも子供を人質にとられているようなものですから、強くはいえません。先生達も被害者と言えば被害者です。
私の姉も、日教組で活動していましたが、子供の進学の時はしっかりと私立に入れました。一番ひどい公立は避けて私立に入れるなんてあきれた話です。しかし、その姉も組合活動につかれてやめてしまいました。
思想的には、共産党の組合でしたが、社会党系の組合が強くて追い込まれたという感じです。この組合活動も、社会党系の解放同盟の強い影響で教育委員会までもが、そちら系になっているのか、共産党も教育問題の講演会を行い「これでいいのか」なんてやっています。
かつての学生運動であった、集団団交が夜遅くまで行われ、佐藤先生のような人が出てこようものなら自己反省するまで徹底して行われます。それで疲れて嫌になって自殺をした先生達も後をたちません。その昔大学で学長に白ずきんをかぶせて集団団交した姿によく似ています。こういった、現実を持って見るなら、まさにここに崩壊したはずの共産主義社会が生きづいていたのを見ることが出来ます。
これがいいか悪いかという判断は誰も出せません。しかし、公教育の場でこんなことはやめていただきたい。親たちは、みんなあきれているし、そろそろ市民も立ち上がらなければならないと気づきはじめています。
(広島県教育は生徒の可能性を潰しています)
小・中・高と広島県で教育を受けた大学院生です。
「共産主義」云々の部分は、どうかと思いますが、「広島県の教育」に問題があることは、私の経験からも明白であると思います。
*差別・平和教育*
特に小学校でひどく、宗教的な感じでおこなわれていて、小学生の時、生徒会役員をやっていて、生徒会で「解放同盟の活動家の人と話し合い」なんてことがありました。
#差別や平和学習は大切だと思いますが、度を超すと、悪ではないでしょうか。
* 勉強 *
授業についても、他県と比べて完全に手抜きです。勉強することが、出来ることが良いことだとまで言いませんが、現在の日本において、いい大学に入ることはその人の可能性を広げてくれることは事実だと思います。その点で、「広島県教育は生徒の可能性を潰しています。」
私は、備三地区の大学進学率の高い高校に行きましたが、国立に入るには、独自に勉強しないとダメという状態でした。総合選抜の同じグループのもう一つの高校では、授業中の席替え(勉強する気のある人が前に来る)があるという状態だったと聞いてます。
改革すれば必ず良くなると思います。教師の人には頑張って欲しいものです。
(この町で子供を生活させる気にはなりません)
あまり難しいことは書けませんが、広島に赴任して、4年になりますが、荒廃しています。週末になれば、からかうように暴走族が走り、祭りとなればけんかが起こり、テレビで流れてるもの、そのものです。
高校生なども電車の中でも地べたに座り雑談しています。ファーストフードでは昼間から、女子高生がタバコをふかしている始末です。悪の循環はエスカレートする一方でしょう。
私はけっして、この町で子供を生活させる気にはなりません。どんなに個人ががんばっても、つぶされ(ころされ)てしまうでしょう。
★編集部より:
いかがでしたか。特に「長男は、広島県の誤った公教育の犠牲者」は読みながら、目頭が熱くなりました。ご子息が自分の力で大検に合格され、それを自信として立派に成長されるよう心からお祈り申し上げます。
「中国共産党や北朝鮮と学校を比べてあげつらうのは、あまりに非常識で愚かな発想と思う」というような批判もありましたが、以上の実体験を、以下の革命後のソ連社会と比べてみれば、そっくりだと言う事は事実として言えるのではないでしょうか。日教組も共産党も、「根は同じ」なのですから。
__________
家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺害した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子どもたちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
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(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
前号「閉ざされたクラスルーム」には、たくさんの感想メールをいただいています。その中で、特に広島の公教育を生徒として、親として、体験された方々の証言を「すべて、かつ全文」ご紹介させていただきます。まずは事実を正確に把握することが本講座の基本方針ですので。
(他県から来た私には極めて異常な光景)
私は長崎県から高校2年生のときに広島市内の公立高校に転校し、そこで2年間を過ごしました。1975-76年のことですが、当時の高等学校にすら、現在の状況を生み出す下地があったように思えます。
広島県は、平和教育を非常に重視しているのですが、「平和」に対して議論することは一切許されていませんでした。ただ、教師の教えるとおりに、「反戦・平和」を唱えることだけが許されていたのです。しかも、同じ被爆地である長崎から来た私に対して、「そう言えば長崎にも原爆は落ちたな」と言い放つ生徒もいたのです。
この他同和問題の研究も盛んで、「狭山事件」が教材として使われていました。これも一方的な解釈しか許されませんでした。「平和」「平等」の名の下に、全くのお仕着せ教育が行われ、生徒も表だっては反論しない。他県から来た私には極めて異常な光景でしたが、その後も改善されるどころか悪化していたことを知り、驚きはしましたが、同時に「やっぱりね」との感想も持ちました。
(長男は、広島県の誤った公教育の犠牲者)
福山市在住の主婦です。16歳・中2・小6の3人の子どもがいます。我が家の長男は、中学のころから本格的にいじめを受ける側に立たされていましたが、学校側は起きた事を電話で報告するだけで何もしてはくれませんでした。
中3の2学期から不登校になり、どうにか公立高校にもはいれたのですが、高校生活にうまく溶け込めずにいる子に対してここでも学校側の対応は冷たいものでした。長男は、3か月で高校中退の道を選び、現在大検を目指していますが、勉強はあまりはかどってはいない様子です。
親も子もさんざん苦しみ抜いて、私の育て方や子どもの性格にも問題があったのだろうかといろいろ思い悩んだりもしましたが、この記事を読ませていただいた今日ただいまから私は、自分たちを責めるのはやめにします。長男は、広島県の誤った公教育の犠牲者なのだと、確信することができました。ほんとうにありがとうございます。よくぞ書いてくださいました。
小6の次男の同級生の大半は塾に通い、中学受験をして私立に進む子も多いのですが、我が家のように住宅ローンに追われる家計ではそれもできません。日本は豊かな国のはずなのに、教育の機会は均等ではないのですね。
この事実を、もっともっと多くの人に知っていただきたいと思っています。
(どんなに努力しても学校は認めてくれない)
福山市出身の大学生です。これは、私が学生当時から常に不満に思っていた事です。その結果、私はどんなに努力しても学校は認めてくれない、そんな勉強なんかやってられるか!と考え学校の勉強は完全に無視し、努力の結果が反映される塾と模擬試験に偏重した勉強をするようになりました。福山市の教育は、平等な教育と言ってますが公立なら高校までも下にあわせた平等な教育です。
しかし、よく言ってくれました。私の郷土と母校が素晴らしい学校になる事を望みます。
(廊下を殴られず歩く方法を習得します)
大ショック!!! こんなにひどいとは!!!
ひどくなったとは聞いていましたが、なにしろ、私の父は広島市内の公立高校の元教諭ですので。幸いなことに父は日教組なんかではありません。
私は10年間商社で働いた後、現在米国の大学院(ビジネス・スクール)に在学中です。もちろん、広島市出身で、70年代後半を、旧市内の公立中学、公立高校ですごしました。私も、こんなになる下地がそのころからあったと思います。
私の中学には日教組の先生が多く、子供心に、「この先生達、なんか変だな。」と感じていました。もちろん、日の丸や君が代や成績順位はありませんでした。でも、子供の私はまっさらなので、それは、普通のことと受け止めていました。
今考えると、ぞっとします。まっさらな子供を洗脳するのは、とても簡単ですよね。新興宗教なら避ける手もありますが、通ってる学校の先生では避けようがありません。そのころは、そんなことより、目の前の暴力をどうやってかわすかが重要でした。
新入生のころは、みんな、廊下を歩くだけで殴られました。なにしろ、広島の危険だった歓楽街がすべて学区内でしたから、いろんな中学生がいました。
番長とそのグループ
スケバンとそのグループ
朝鮮人系の不良グループ
米軍岩国基地系のハーフの不良
全国的に有名な広島やくざのご子弟
クラスメートの女の子は母親の指示でピルを常用し、
伝統的な長いスカートで町を闊歩し、
男子の不良グループは広島狭しと走り回って、
ヌンチャク振り回して、
ケンカにあけくれていました。
ただ、陰湿ないじめみたいなものは記憶にありません。それ以外はなんでもあり。中学2年生になるころには、恐ろしいことにこれにも慣れてきます。廊下を殴られず歩く方法を習得します。
日教組と不良に囲まれた中学生生活で、私は「これじゃあいけん」とがんばって勉強し、そのころ、難しかった公立高校に入学しました。
いまでは、中学時代の日教組の悪影響は払拭され、長野オリンピックの開会式のときには、こちらアメリカでTVで見ながら、大声で「君が代」を斉唱し、天皇陛下のお言葉のときには、テレビの前で正座拝聴し、金メダルの「日の丸」に涙しておりました。最近は、チベットの学生の影響で「チベットに自由を!!!」と叫んでいます。
うだうだ書いてしまいましたが、この「閉ざされたクラスルーム」にはショックを受け、かつ、全面的に賛成します。科目でも徒競走でも皆勤賞でも1番になったら、誉めてあげたいじゃないですか。「おまえが一番よくがんばった」と。
私の故郷の教育レベルがもとに戻ることをこころから祈り、私でできることがあればどんどんやっていく所存です。
(教師を守る物はない)
私の学校(高校)では、授業中生徒が漫画を読み、菓子を食べ平気で歩き回る。それでも毎日、先生方は注意をするが、物を投げつけられ、どなられ、車をつぶされ、いたずら電話がきて、時には殴られる先生もいる。教師を守る物はない。
しかし、親ですら子供をおさえることはできず、町で高校生がたばこを吸っていたとしても、誰も止める人間はいない。
(連絡帳のコメントまで、思想チェックのようなコメント)
福山在住の父親です。この内容は、右翼だからとかサンケイ新聞だからと言うことで、終わらせるべきものではありません。子供の参観日に行けば毎回人権問題ばかり、そして、社会見学は、原爆ドーム、夏の宿題は戦争の問題、原爆の問題、何か、思想教育と言ってもいいような内容ばかりです。そして、先生からの連絡帳のコメントまで、思想チェックのようなコメントまであります。これを持ってなんというでしょうか。
もちろん、先生の個人差が大きくあるし、その学校の組合の程度とか、筋金の入った思想の持ち主がいるかどうかにもよります。親たちは、なんか変だと感じながらも子供を人質にとられているようなものですから、強くはいえません。先生達も被害者と言えば被害者です。
私の姉も、日教組で活動していましたが、子供の進学の時はしっかりと私立に入れました。一番ひどい公立は避けて私立に入れるなんてあきれた話です。しかし、その姉も組合活動につかれてやめてしまいました。
思想的には、共産党の組合でしたが、社会党系の組合が強くて追い込まれたという感じです。この組合活動も、社会党系の解放同盟の強い影響で教育委員会までもが、そちら系になっているのか、共産党も教育問題の講演会を行い「これでいいのか」なんてやっています。
かつての学生運動であった、集団団交が夜遅くまで行われ、佐藤先生のような人が出てこようものなら自己反省するまで徹底して行われます。それで疲れて嫌になって自殺をした先生達も後をたちません。その昔大学で学長に白ずきんをかぶせて集団団交した姿によく似ています。こういった、現実を持って見るなら、まさにここに崩壊したはずの共産主義社会が生きづいていたのを見ることが出来ます。
これがいいか悪いかという判断は誰も出せません。しかし、公教育の場でこんなことはやめていただきたい。親たちは、みんなあきれているし、そろそろ市民も立ち上がらなければならないと気づきはじめています。
(広島県教育は生徒の可能性を潰しています)
小・中・高と広島県で教育を受けた大学院生です。
「共産主義」云々の部分は、どうかと思いますが、「広島県の教育」に問題があることは、私の経験からも明白であると思います。
*差別・平和教育*
特に小学校でひどく、宗教的な感じでおこなわれていて、小学生の時、生徒会役員をやっていて、生徒会で「解放同盟の活動家の人と話し合い」なんてことがありました。
#差別や平和学習は大切だと思いますが、度を超すと、悪ではないでしょうか。
* 勉強 *
授業についても、他県と比べて完全に手抜きです。勉強することが、出来ることが良いことだとまで言いませんが、現在の日本において、いい大学に入ることはその人の可能性を広げてくれることは事実だと思います。その点で、「広島県教育は生徒の可能性を潰しています。」
私は、備三地区の大学進学率の高い高校に行きましたが、国立に入るには、独自に勉強しないとダメという状態でした。総合選抜の同じグループのもう一つの高校では、授業中の席替え(勉強する気のある人が前に来る)があるという状態だったと聞いてます。
改革すれば必ず良くなると思います。教師の人には頑張って欲しいものです。
(この町で子供を生活させる気にはなりません)
あまり難しいことは書けませんが、広島に赴任して、4年になりますが、荒廃しています。週末になれば、からかうように暴走族が走り、祭りとなればけんかが起こり、テレビで流れてるもの、そのものです。
高校生なども電車の中でも地べたに座り雑談しています。ファーストフードでは昼間から、女子高生がタバコをふかしている始末です。悪の循環はエスカレートする一方でしょう。
私はけっして、この町で子供を生活させる気にはなりません。どんなに個人ががんばっても、つぶされ(ころされ)てしまうでしょう。
★編集部より:
いかがでしたか。特に「長男は、広島県の誤った公教育の犠牲者」は読みながら、目頭が熱くなりました。ご子息が自分の力で大検に合格され、それを自信として立派に成長されるよう心からお祈り申し上げます。
「中国共産党や北朝鮮と学校を比べてあげつらうのは、あまりに非常識で愚かな発想と思う」というような批判もありましたが、以上の実体験を、以下の革命後のソ連社会と比べてみれば、そっくりだと言う事は事実として言えるのではないでしょうか。日教組も共産党も、「根は同じ」なのですから。
__________
家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺害した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子どもたちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
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(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
---owari---
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