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日本武人の闘い方(前編)

2024年09月16日 | 日本
「敵を欺(あざむ)いて勝つのは真の武の道ではない」と日本最古の兵書は『孫子』の兵法を否定した。

(平安時代の兵書!?)
日本最古の兵書が平安時代末期に出ていると知って驚いた。つい最近出版された斎藤孝著『日本人の闘い方 日本最古の兵書「闘戦経(とうせんきょう)」に学ぶ』からである。

平安時代と言えば、藤原氏が摂関政治を行い、源氏物語などの女流文学が花開いた平和な貴族の時代というイメージが強い。そんな時代から兵法があったのか、と思ったのである。

しかし、考えてみれば、九州の地から大和に進出して建国した初代・神武天皇、九州と関東を平定した日本武尊(やまとたけるのみこと)など、皇室の先祖はなつき従う部族は受け入れつつ、抗(あらが)う部族は戦い従わせて、国家統合をなし遂げたのだった。

平安時代に入っても、東北地方を統合するために、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が征夷大将軍として派遣され、いまだ耕作を知らなかった蝦夷たちに農業技術を教えつつ、抵抗する勢力は武力で帰順させた。

こうして見ると、我が国は武人たちの努力によって建国、発展し、その上で花開いたのが平安時代の貴族文化だった。とすれば、そういう武人たちの闘い方を説いた書物が平安時代にあってもおかしくはない。その武人たちの闘い方とはどのようなものだったか。

 
(「武」は秩序を生み出す力)
『闘戦経』の第1章はまさしく、我が国を形作った「武」のあり方について述べている。

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私たち日本人の「武」というものは天地の初めからあるものである。その「武」の力によって天と地がわかれたのだ。それはまるで雛(ひな)が卵の殻を割るように自然なことであった。私たち日本人の「武」の道はすべての根元であり、いろいろな考え方の大元になるものである。

我が武なるものは天地の初めに在り、しかして一気に天地を両(わか)つ。雛の卵を割るがごとし。故に我が道は万物の根元、百家(ひゃっか)の権與(けんよ:物事の始まり)なり。
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「天と地がわかれる」とは、古事記の冒頭で、世界の最初は混沌としていたが、やがて天と地が別れて秩序が生まれてきた、と書いてるように、「秩序が生まれた」という意味である。

日本列島はかつて無数の部族があちこちに割拠していたが、それを一つの国家として統合し、秩序を生み出したのが「武」であった。著者の斎藤孝氏は、こう説いている。

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「武」という言葉は「矛(ほこ)」を「止める」という字からなっています。つまり「矛を収める」という意味も含んでいるのです。武によってすべてをやっつけてしまっては何もなくなってしまいます。武の力で混沌としたものに秩序を与えていくことが大事なことなのです。
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国家とは、人々が一緒に暮らしていくための「秩序」を支える存在だ。たとえば、湾岸戦争後のイラクでは国家が崩壊して、民衆を守る秩序が失われた。そこに多国籍軍の一環として自衛隊が進出し、荒廃した土地に住む人々のために飲料水を提供したり、学校を作ったりして、生活を支えた。

 残存する武装勢力がロケット砲を打ち込んでくることもあったが、それで自衛隊が帰ってしまうことを恐れ、140名の現地人のデモ隊が自衛隊宿営地に詰めかけて、「日本の支援に感謝する」「帰らないで」と懇願した。

自衛隊の「武」が支える秩序がなければ、これらの人々は武装勢力の餌食になったであろう。「武」は秩序を生み出すもの、これが『闘戦経』の大前提である。

(敵を欺く『孫子』の兵法は日本人のスタイルではない)
『闘戦経』の著者の大江匡房(まさふさ)は、朝廷で『六韜(りくとう)』『三略』『孫子』などの中国の兵書の管理をしている兵法の大家の35代目であった。斎藤孝氏は『闘戦経』と『孫子』の関係について、こう述べている。

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その当時は特に『孫子』が広く世に知れていましたが、大江匡房は『孫子』の説く「兵は詭道なり」つまり「戦いの基本は敵を欺くことにある」という兵法はどうしても日本人のスタイルではない、と考えたのです。

「戦いというのはただ勝てばいいのではない、ズルをして勝つのではなく、正々堂々と戦うべきである」と、中国ではなく日本の戦うスタイルを宣言しました、それが『闘戦経』なのです。

そうした思いを匡房は『闘戦経』を入れた函(はこ)に金文字で書いています。
「『闘戦経』は『孫子』と表裏す。『孫子』は詭道を説くも、『闘戦経』は真鋭(しんえい:真の賢さ)を説く、これ日本の国風なり」
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「武」が秩序を生み出す力であるとしたら、単に戦闘に勝てば良いというものではない。敵を欺いて勝ったとしても、その敵は恨みを抱き、いつか復讐してやろうと思うだろう。それでは真の平和にはつながらない。まさに中国大陸のように戦乱の世が続く。

『孫子』は戦闘に勝つ方法を教えた。『闘戦経』は世を治める道を教えている。そこに次元の違いがある。

(「日本では真実をよしとする」)
それでは『闘戦経』では、どのような闘い方を理想とするのか。匡房(まさふさ)はこう説く。

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中国の古い文献では相手を騙すことも一つの作戦としていいことだと言う。しかし日本では真実をよしとする。偽(いつわり)は所詮(しょせん)偽りにすぎない。鋭く真実であれば、やがてそれははっきりとした結果を生む。・・・

漢の文は詭譎(きけつ)有り、倭(わ)の教は真鋭を説く。詭ならんか詭や。鋭なるかな鋭や。・・・
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この一節を斎藤孝氏はこう解説する。

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『闘戦経』では日本人の価値観を的確に捉えていて「どんな手を使っても勝つことをよしとするのではなく、正々堂々と戦うことがまず大切だ。何か汚い手を使って勝つよりも、負ける方がまだいい」といった潔(いさぎよ)さを求めるのです。千年近くも前に書かれた本に、現代にまで続く日本人の価値観が記されていることに驚きます。

例えばサッカーの国際試合などでは審判の見ていないところでズルをする外国の選手をよく見ます。わざと倒れて相手に反則の判定をとらせるなどということもよくあります。日本はそうしたずる賢さがないから勝てないんだと言われたこともありました。しかし、日本人にはそうしたことができないのです。

そして今は、日本チームはそれでいい、フェアプレーを貫いて正々堂々と闘おうではないかという、それが日本のスタイルになっています。高校野球もまさに正々堂々、そこに日本的教育があります。
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(日韓サッカーワールドカップでの戦い方の違い)
この一文から思い出されるのは、平成14(2002)年の日韓サッカーワールドカップである。日本チームは決勝進出したが1回戦で敗退したのに対し、韓国チームはイタリア、スペインと強豪を連破し、準決勝にまで進出して4位を得た。しかし、この両試合で、世界10大誤審に4つもランクインする韓国有利の誤審が出て、審判買収まで噂された。

やぶれたイタリア、スペインのみならず、第3国のマスコミまで以下のような報道をした。

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・ イギリス デイリーテレグラフ紙:茶番判定で汚れた韓国の奇跡
・ アルゼンチン ラ・ナシオン紙: W杯を中止に
・ オーストリア クリア紙: W杯に正義はなくなった
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スポーツは正々堂々と戦ってこそ、勝っても負けても敵味方を超えた友情が花開く。韓国と日本のサッカーの違いは、まさに「相手を騙すことも一つの作戦」と考えるか、あくまでも「真実をよしとする」か、という闘い方の違いであった。
 ――(後編に続く)

---owari---
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