このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

橿原の地で即位して初代天皇となった神武天皇(前編・下)

2020年09月30日 | 日本
(記紀の編纂者は批判家精神を持っていた)
なお、神武の即位年についてはよく分かりませんが、戦時中には、「皇紀(こうき)2600年(西暦1940年)」などというように言っていました。要するに、あまり明確ではないものの、神武即位は、2600年か、2700年近い昔ではないかと推定されるのです。

ただ、多少、誤差はあるかもしれません。『日本書紀』では、「神武天皇は百二十七歳まで生きた」などと書いてありますが(注。『古事記』では、百三十七歳まで生きたとされる)、戸籍(こせき)がはっきりしていないので、「実際に何歳まで生きたか」は分からないところがあるでしょう。

しかし、親、兄弟、子孫(しそん)について、「こういうことをした」という業績が明確に書いてある場合は、多少脚色(きゃくしょく)があるにしても、「事実として、それに相当するものがあった」と考えるほうが正しいと思います

しかも、そういう歴史書を書いた当時の人たちは、実際に話として聞いていた人たちであり、現代の人たちよりはるかによく記憶(きおく)していたでしょう。やはり、わずか五十年前、百年前の話をごまかして伝えることはできません。実在しない人を実在したように書き、天皇を何代も増やすなどということは、とてもではないけれども、通用しないと思います。ましてや、朝廷(ちょうてい)が編纂(へんさん)するということならば、当然、批判が出ます。

ところが、記紀(きき)には朝廷にとって都合の悪いこともたくさん書いてあるので、その意味では、そうとう正当性というか、信憑(しんぴょう)性はあると思います。書きたくないような不利なことも、歴史上の出来事としてきちんと書いてあるからです。

あまり言いたくはないのですが、例えば、*日本武尊(やまとたけるのみこと)についてもそうでしょう。彼の双子(ふたご)の兄が、父である天皇に対して裏切り行為を行ったため、日本武尊が兄を誅殺(ちゅうさつ)したなどという恐(おそ)ろしい話も出ています。

また、そのあまりの怖(こわ)さに、父のほうが、「九州を攻(せ)めろ」「関東を攻めろ」と言って、彼を宮廷の側(そば)に置かないようにしていました。要するに、日本武尊が怖いので、外に回していたわけですが、これなども、リアリティーがありすぎますし、いかにもそれらしい話です。

そのように、少し都合の悪い話も出ていますので、「批評家精神」をきちんと持った方たちが書いていると考えてよいのではないでしょうか。

―――――
*日本武尊:第12代・景行天皇の皇子として生まれる。九州の熊襲(くまそ)や中国地方を平定(へいてい)後、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)から草薙剣(くさなぎのつるぎ)と火打石を授かり、東国の蝦夷討伐(えみしとうばつ)に遠征し、平定したとされる。

---owari---
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 橿原の地で即位して初代天皇... | トップ | 橿原の地で即位して初代天皇... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事