(戦争抑止力のもとである「国力の維持」の具体策)
例えば、広島でつくられた戦艦大和について、「“大和ホテル”と言われて、実際には役に立たなかった」ということを、戦後の大蔵省(現・財務省)では、伝説のように言われています。エジプトのピラミッド、中国の万里に長城に続く、「人類の三大“バカ”事業」として、戦艦大和をつくったことを挙げられることが多いのです。
広島でつくられた世界最大の戦艦に対して、そういう言い方をされたり、「大和に乗っていれば安全で、後方で浮かんでいただけだ」ということで、“大和ホテル”と言って批判されたりしています。
ただ、私は、戦艦大和が九州の枕崎から二百数十キロメートルのところで沈められたのを見ると、やはり悔しくてならないところがあります。「世界最大級の戦艦をつくったのに、対空母、対戦艦に対して、一発も砲弾を当てることなく、航空機だけで沈められた」ということについては、やはり悔しい思いはあります。
そのときのアメリカの作戦は、太平洋戦争が始まったときに、ハワイの真珠湾攻撃において、日本が世界で初めて発明した作戦と同じでした。つまり、「航空母艦を中心とする機動部隊攻撃によって、戦艦は航空機で沈めることがきる」ということを日本が証明したやり方です。
真珠湾攻撃のあとも、南シナ海で、イギリスの「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の、二隻の戦艦が沈められました。「絶対に沈まない」と言われた不沈戦艦が、日本の航空機によって沈められたのです。
日本が行ったその作戦を、何年か後にアメリカがやってみせたということなのです。先に成し遂げたのに、その偉大な意味に気づかず、まだ戦艦を中心に考えていたところが、日本の「発想の切り替え」が少し遅れたところです。
また、開戦時には米軍よりも大きな戦力を持っていたのに、工業力の差がそうとうあったところが、やはり、長期戦では負ける結果になったのだと思います。
このあたりは、「普通にいけば、国力が違えば負けることになるのだ」と、素直に反省すべきです。「アメリカの国力は、日本の十倍はあった」と言われていますが、「工業力に関しては百倍あった」とも言われています。
山本五十六長官は、戦前にアメリカに留学したとき、ハーバード大学にはわずかの期間しかいなかったそうですが、大学から“遁走(とんそう)”してアメリカ各地を見て回り、自動車をつくっているところなどを見て、「とてもではないが、この工業力では勝てないな」と感じたようです。
それから、彼はニューヨークの摩天楼を見て、「日本の木の家では、全部、丸焼きにされてしまう」ということも知って、開戦前に、「アメリカと戦ったら負ける」ということを言っていたのですが、アメリカに留学していない人々には、それが通じませんでした。そのため、負ける戦争の司令官になったわけですが、やはり、基礎力のないものは敗れていきます。
こうしたことを考えると、戦争に対する一つの抑止力として、「国力を維持する」ということも大事です。やはり、なめられない程度には、国力を持っていなければいけないのです。
日本は、アメリカに先を越されていますが、今、経済的にはずっと小さかった中国にも追い抜かれて、GDP(国内総生産)は日本の二倍以上と彼らは称していますし、このままでいくと、日本はインドにも抜かれ、ロシアにも抜かれ、インドネシアにも抜かれ、メキシコにも抜かれというように、これから三十年以内に、世界での国力順位はどんどん下がっていくことが予想されます。それを黙って見ていてはいけないと思うのです。
そうした国力というか、「国のGDPの順位が、どんどん下がっていく」ということは、それ自体が、「国を護る力が落ちていくことと同じだ」ということを知らなければいけないのです。
---owari---
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