大神(おおみわ)神社は、日本の五大パワースポットに入っており、霊験あらたかと思いますので、こちらに来られた際には、ぜひ一度ご参拝ください。
奈良市から桜井市に至る国道7号線に沿って山沿いに続く日本最古の道と呼ばれる「山の辺の道」の終点近くの三輪山のふもとに「大神神社」はあります。
この「山の辺の道」一帯は古代大和朝廷誕生の地と言われ、箸墓(はしはか)古墳で知られる纏向(まきむく)遺跡の成立は、三世紀初頭で当時の古代都市と呼んで良いほどの集落規模と繁栄があったそうです。また、この付近は全国的に知られる三輪素麺の本場でもあります。
古代大和朝廷が信仰した神が三輪山です。山全体がご神体でその大半が禁足地であり、例え神社の神職といえども立ち入ることはできません。古代より人が足を踏み入れたことのない原始の森がいまだに保たれています。
ご祭神の大物主大神が三輪山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある「三ツ鳥居」を通し三輪山を拝するという原初の神祀りのさまを伝える我が国最古の神社です。
『古事記』、『日本書紀』によれば、崇神7年(紀元前90年頃)に祭祀主として大物主神を祀らせたとあり、この頃が大神神社のはじまりではないかと思われます。
ご祭神は、「因幡の白うさぎ」を助けたことでも知られる大物主大神です。神社には「なでうさぎ」と呼ばれる兎が、訪れる人を迎えてくれます。また、酒や薬の神様ともいわれています。
拝殿と三輪山の間に、「三ツ鳥居」と呼ばれる独特の形状の鳥居が置かれていまが、この鳥居は、普通の鳥居とはわけが違います。大神神社の鳥居は別格です。
この鳥居は非常に変わっています。3つの鳥居が横一列に合体しているのですが、鳥居の足は4本しかないのです。中央の鳥居だけは大きく、左右の鳥居は小さいのです。これを「三ツ鳥居」と呼んでいます。 なぜ「三ツ鳥居」なのかというと、大神神社は三神を祀っているからです。
ここでいう三神とは、いうまでもなく、祭神である大物主神・大己貴神・少彦名神です。ひとりの神に、ひとつの鳥居が建てられて、三人おられるから、三つの鳥居となります。しかも、三人の神は和魂・幸魂・奇魂という三魂を象徴しており、ひとつの神界を形成している。よって、三つの鳥居がひとつに合体しているということです。
具体的に言えば、中央の鳥居が和魂=大物主神、向かって右の鳥居が幸魂=大己貴神、左の鳥居が奇魂=少彦名神に対応している。三神が一体となって、「三ツ鳥居」を形成しているのです。
「和魂(にぎみたま)」というのは神の和やかな魂のことです。自然界における恵みや幸といった人間を祝福する側面です。人間が神社を参拝して神に願い事をし、感謝を捧げる対象としての神です。
「幸魂(さきみたま)」は、動植物が成長し繁栄していくことを示す、物質的側面のことです。
「奇魂(くしみたま)」は目に見えないもの――人間のもっている愛情や動植物の生命力、または死んだ人の霊魂をつかさどる御魂です。
拝殿に参拝しただけでは残念ながら「三ツ鳥居」は見えません。社務所にお願いして拝殿に上がってから見えるとのことです。私も参拝しましたが、1月中は祈祷中のため、見られませんでした。見たい場合はよくお調べになってからご参拝ください。
さて、「三ツ鳥居」にまつわるお話がもう一つあります。
それは、有名な酒造メーカー「サントリー」の社名に関するものです。
「サントリー」の社名の由来について、サントリー広報部のホームページの公式見解では、現在のサントリーの前身「寿屋」の土台を築いた赤玉ポートワイン (明治40年発売)の「赤玉」すなわち 太陽(サン)の下に創業者の名前・鳥居(トリイ)を結び付けて命名したものですと公表されています。
しかし、事実はどうでしょうか。建前はその通りだと思います。間違いはないでしょう。
しかし、私は『三ツ鳥居 ⇒ 三鳥居 ⇒ サントリー』が本音ではないでしょうか。
証拠(?)があります。
① 創業者の鳥居信治郎氏は大神神社の熱心な氏子のひとりで、現在もサントリーは氏子総代を務めています。
② 鳥居信治郎氏は参拝された時に、自分の名前と同じ有名な「鳥居」があるということで、大変めでたいと言っておられた。
③ 大神神社は「酒の神様」です。美貌の女流歌人、「額田王」は和歌で、『味酒(うまさけ)三輪の山あをによし・・・』と詠んでいます。
古代この地一帯は名酒の産地であったようです。そのようなことから「酒の神様」として全国の酒造業者の崇敬を一心に集めているのが、この「大神神社」なのです。
さて、皆さんのお考えはどうでしょうか。
---owari---
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