市内全域に避難指示が出されてのは7日(金)夕方のこと。
それから2時間後の午後7時頃の遠賀川の様子...
あのまま雨が夜通し降り続いたら、明け方には国道を越えて市街地に河の水が流れ込んでたところだった。
まさに"神風"の如く雨は止み、その日の最大干潮時刻とともに河の水が一気に引いた。
ところが、市内でも一部で河が氾濫し、市の社協が災害ボランティアセンターを立ち上げたのは9日(月)のコト。
この日は新聞休刊日で、当然、市内の被害のコトはわからない。⬅今思うと、日曜日、レッスンに行く途中で、道路脇に家財道具が出してあったお宅が...
市内の一部地域で床上浸水の被害があり、市の社協がボランティアセンターを立ち上げたと知ったのは翌10日(火)の朝刊を見てのコト。
いつも思うんだけど、こういう情報はなぜか遅い。確かに、全体を把握してから情報を流していれば、そういったタイムラグも生じるのだろうけど、われわれボランティアにとって「情報は遅くて曖昧」というのが共通の認識だ。
だから、皆、積極的に情報を取って「飯塚市のボラに断られたので久留米に行きます」なんてSNSに書き込みしてる。
この日は20名の募集に対して36名の災害ボランティアが集まった。
私のようにSNSを見て申し込んだ個人は5名、あとは企業からの応募だった。
私は他の4名の個人申し込み者と共に、市内の福祉施設の方々のグループに組み込まれ、隣町に近い河の土手のそばの民家2棟の畳上げと床剥ぎ。
西日本新聞の記者も同行し、写真を撮り、個人的に取材も受けた。
どっぷりと水を含んだ畳は重く、大人6人で運ぶのがやっとだった。
すぐ近くに公民館があって、その横の広場に浸水した家財道具が運び込まれ、市の清掃車が回収、大きなモノは業者がショベルカーでトラックに積み込んで持って行った。
畳上げした後の床は、板が腐食していた。それらを全て剥ぐと基礎の部分が剥き出しになる。
建物本体は被害が無いので、こうして数日乾かした後、石灰を巻いて消毒し、建築業者が入って基礎の上に床を張り替えていくのだろう。
昨年の朝倉では河の横の市営住宅に濁流が押し寄せ、窓ガラスを破って家の中に土砂が堆積していた。
棟と棟の間には1mを越える土砂が堆積し、災害発生から2ヶ月半後の9月下旬の残暑の中、汗だくになりながらスコップで土砂を掻き出した。
月日が経った土砂は粘土化し⬅そもそも、ここの河の土質が粘土質だったのかもしれないが、重かった。
昨日の最高気温は34度...でも、9月の朝倉の作業に比べたら楽だった。
弁当を作って行ったら、お昼は一緒にどうぞ💖というコトで、福祉施設さんのお世話になった。
学校給食を思わせる懐かしい味🎵
今回は朝倉の時のように東京や大阪からのボランティアが来ていない。
西日本豪雨と命名されるだけあって、広範囲で被害が出てるから、きっとそちらへ行ってるんだろうね?我々で九州を守っていかないといけないね🎵と個人参加のメンバーと決意を新たにした🎵
不思議とお金を貰わないボランティアのほうが、"生きてる"実感がする。なぜだろう?
損得が発生しない、シンプルな、人と人との結びつき🎵助け合い💖
残念ながら...
私が本当にやりたいコト🎵は、お金にならないコトばかりなんだ(^_^)、というコトを改めて知らされた。
PS:数年前、北海道を走って縦断するトランスエゾに出た時、エイドの新田農場の奥さんが、参加者一人一人に手作りのタオルキャップをプレゼントしてくれた💖
それが昨日は本当に役にたった。ありがとう❤中に保冷剤を入れて(^ー^)❤
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#飯塚市社会福祉協議会
#災害ボランティア