こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

原発になお地域の未来を託せるか

2011-08-29 12:51:42 | 読書


サブタイトル「 福島原発事故-ー 利益誘導システムの破綻と地域再生への道」

著者は福島に住んで31年、3.11以前も原発について社会科学の角度から論じてきた。
自ら被災し、「原発被災地である福島県にいる者でなければ語れないような何かを表現したいという思い」をもったという。(あとがき)

「誰が事故の責任を負うべきか」と問い、《私の個人的な見解》と断りながら、「東京電力、政府、自治体、そして国民」のそれぞれの責任について言及している。特に「国民には全く責任がないのかといえば、そうは言えないと思う」として、「国民が歴代政府の政策を支持、(あるいは容認)してきたこと」についてもふれていることは、本当に重く受け止めたいと思う。

「原発の電気を大量に消費している都市の住民に責任の一端があることは言うまでもありません。」「無知であることにも責任がともなうのです。」と厳しく指摘している。いわゆる電源3法のシステムが、あの手、この手で、財政力の乏しい高齢化のすすむ農村に危険な原発をおしつけてきたこと、その財源は都市に暮らす私たちが電気料金とともに負担してきたことを、少なくとも私はこの本を読んで初めて詳細に知った。そして「無知であることにも責任がともなう」という著者の言葉を、自分のなかで、反芻する。

政府が国民をだまし続けようとしても、「知ろう」と思い、知る努力をすれば真実に近づけるのだから、「無知であること」に甘んじていることは許されない。そのことを痛切に感じた。

清水修二(国立大学法人福島大学副学長)
自治体問題研究所
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百年の家

2011-08-29 00:04:31 | 絵本

今年の誕生日に娘達がプレゼントしてくれた本。
私の仕事机の後ろに、いつも手の届くところにあります。

お話の主人公は「家」。
一軒の古い家が静かに淡々と、100年の間に見てきた人々の姿を語ります。

「いままでの暮らし方を継がない。それが新しい世代だ」という一節に、ドキッとした。
「継がなかった」のは、私たちの世代ではなかったか?と、ふと思う。


最後のページにはこのようにある。

「けれども、つねに、わたしは、わが身に感じている。

 なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と。」

開くたびに、いろいろなことを想い、心が静まる。
そんな一冊だ。

絵:ロベルト・インノチェンティ(1040年生まれ イタリア、フィレンツェ在住)
作:J.パトリック・ルイス(1042年生まれ アメリカ、オハイオ州在住)
訳:長田 弘(1039年、福島市生まれ)
講談社

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