こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

「ばあばは、だいじょうぶ」

2018-02-13 21:03:38 | 絵本
柔らかなやさしい色合いの表紙。

大好きな、ばあばが「忘れてしまう病気」になる。


ばあばが変わっていくのを、傍らで見ている孫のつばさクン。

とまどい、目をそむける時もある。

大好きなばあばがいなくなったのは、「にわのみずたまりに こおりがはった日」。

寒い冬の夜中、かえってこないばあばを待つ。つばさは眠れない。


作者の実体験を、つばさに重ねている。


最後のページの作者の言葉より。

「・・・介護をするというのは確かに大変だが、学ぶことも多く、心が満たされることも多い。母は病気のせいでだんだん表情がうしなわれつつあるが、わたしがしんどい顔をしていると、にこっとわらいかけてくれることがある。『そんな顔をしてちゃだめよ』と言われているような気がして、はっとする。守っているつもりで、じつはいまも守られているのかもしれない。うん、だいじょうぶ。きょうもわらっていこう。」


「・・・大変だが学ぶことも多く、心が満たされることも多い。」・・・そう感じるまでに、様々なことがあったのだろうと思う。

身近なところで「忘れてしまう病気」になった人に接することが増えています。


病気であることを受け入れて、医師のアドバイスも受けながら、家族に支えられて暮らし方を工夫している人もある。

外出先で道に迷い、そんな自分の変化を受け入れがたく、それでも不安でたまらない人もいる。

人が信じられず、「モノがなくなる。あの人が盗った」と訴える人がいる。


そういう姿を見る時に、どんな言葉をかけたらいいのか。

いつも答えは出ない。


「忘れてしまう病気になった人」は、深い孤独の闇の中で「だいじょうぶ」と言ってくれる人を待っているような気がする。





楠 章子 作

いしいつとむ 絵

発行 童心社
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 久しぶりの雪景色 | トップ | 来年度予算の審議が始まります »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
接し方一つ (tweety)
2018-02-14 16:36:45
「忘れてしまうからこそ」できることってたくさんあるなって実感したことあります。
ある利用者さんは、施設で転倒し入院ののち帰ってきました。転倒するまでは、ある程度自分のことちゃんとしてましたが、電話を勝手に掛けたりと大変なことありました。転倒してからいろんな人とむしろ交流できるようになったという人もいました。
また認知症の人は、心を読むのがとても素晴らしいです。表向き丁寧な言葉をつかっていても本心読み切っていました。他のスタッフがこの人でかい声だすし大変と言ってたんですが、そのスタッフに、問題があったとわかりました。私自身グループホームで大変な人見てきたって自信も少々ありましたが、その方は、こっちが一生懸命行事考えてることとか一番理解してくれて、後々私たちスタッフを一番はげましてくれましたし、その方が穏やかになると他の利用者さんの目も変わる
うちの祖母は、日によって色々だったわけですが、あるしっかりしてるときに「こんなにぼけてしまって情けないって思うわ」と..でも、私は、「そんな人いないと私たち仕事ないわ」なんて言うと大笑いをしてくれました。

あくまでも一つの例ではありますが..もちろんその忘れた方が聞き入れるかどうかその時の精神状態にもよりますが、ものが無くなったと訴えたかたと一緒に探しましょうかという歩かせているうちに忘れてくれることもあります。あとは、うまくすり替えができれば、お仕事をお任せするといった方法をつかってみたりしました。
返信する
Unknown (ただち恵子)
2018-02-15 21:22:41
tweetyさんへ

「忘れてしまうからこそできること」・・・そう考えたいですね。

認知症でも心穏やかで、周りに暖かい風を運んでくれるような人がいます。

激しく攻撃的になったり暴力的になったり、・・・孤独、寂しさ、不安を募らせて自分を傷つけておられる姿は悲しい。

接し方で本当に変わるのですね。

介護職が専門職である所以です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

絵本」カテゴリの最新記事