こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

命をつなぐ

2013-07-09 23:44:58 | つぶやき
「日本から待機児童という言葉をなくす」と安倍首相が言います。
是非、そうあって欲しいもの。
いえ、そうしなければなりません。

今日も、訪問看護のお仕事をするお母さんから「なぜ幼稚園の預かり保育、3歳児はないんですか?」というご相談、お聞きしました・
(この問題は、後日、項をあらためて書くつもりです。すぐに役に立つ答えを持ち合わせていなくて申し訳なかったのですが、きょうは、お母さんの率直な声をお聞きできて感謝です。)

私の母が私を生んでくれたのは61年前の今日。朝からフェイスブックでお会いしたことのない方からもお祝いのメッセージいただきました。

母は小学校の教師でした。
そしてその頃の日本には「待機児童」という言葉はありませんでした。

「子どもは母親が育てるのがあたりまえ」の社会、そもそも保育所がほとんどありませんでしたから。

母は私を出産する直前まで子どもたちの前にたっていました。
夏休みをはさんで、9月、2学期の初めから教室にもどりました。

母が担任していたクラスの子どもたちは、夏休みまでの約2週間、自分の椅子と机を持ってバラバラに他の学級に編入されたそうです。
子どもを預ける保育所もなければ、出産する教師の産休代替講師の配置もなかった時代です。

それから60年たっても、この国ではいまだに、女性が安心して子どもを生み育てながら働き続けられる環境が整っていません。

「待機児童をなくす」と言っても、子どもの安全も発達保障もなく、詰め込みと安上がりの保育ではダメです。

泉大津でも、就学前の子どもたちの保育・教育の中・長期計画が策定されようとしています。
その中で、きょう、お聞きしたお母さんの声も含め、「待機児童の解消」とともに、子どもたちにとって一番いい形を創りだしていきたいと思います。

私が娘を産んだとき、母は退職していて、出産前後の世話をしてくれました。
生まれたばかりの娘にあてて書いてくれた手紙があります。「1980年7月22日、あなたがこの世に生を受けた時のようすをお話しましょう」という書き出しの手紙です。
この手紙は、娘が母親になったときにわたしました。


今日は3人の娘たちからのプレゼントが届きました。
大きな箱に入っていたのはホームベーカリー。



孫の○クン、○ちゃんに、焼きたて、ほっかほかのパンを食べさてあげたいなぁ・・・と思っていたところ。

ホームベーカリーの向こうに、愛しい孫たちの顔が見えるような気がします。




今日も暑い、暑い一日でした。ひまわりの花が元気をくれます。
これは、「還暦+1」の私から自分へのプレゼント。

この暑さのなか、コータローさんも、ますます真っ黒になって元気に走ったことでしょう。

たつみコータローのHPをごらんください。

元気な訴えを聞いてください。「維新の会の教育政策で、犠牲になっているのは大阪の子どもたち。この大阪で維新の会に痛打を!」コチラから視聴できます。
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