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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 92

2014年02月01日 | 日記

    

 福音の力を体験せよ 92

“神のみ前で自分の魂をへりくだらせ、自分の罪を認めようとしない者たちは、神から受け入れられるための最初の段階にも達していないのである。” 

皆さん自身の罪について、決して誰かを恨んだり、誰かのせいにしたりすることはできません。相手が皆さんより十倍も非があり、誤っていたとしても、それに誤って反応したのであるなら、その間違いの責任は皆さん自身にあるのです。

私たちは、絶対に罪の言い訳をすることはできません。罪の言い訳をしている限り、神様から悔い改めの心をいただくことはできません。皆さんに悔い改めの賜物を与えることがおできにならない間は、神様は皆さんを赦すことがおできになりません。

   主の幕屋の中へ 26

口を開けば、十字架とかイエス様なのに、心の中には、罪の問題を抱え、真の安息と平安を楽しむことができなくて、いつも罪に引っ張られている、そのような状態を中毒だと言います。フロイドが宗教を「強迫神経症の一つ」と嘲笑したことも、そのような理由からではないかと思います。

  ところで、中毒には、関係中毒と物質中毒があります。私たちは、よく中毒と言えばお酒、タバコ、麻薬のような、物質による中毒のことを考えますが、それに劣らず恐ろしいのが関係中毒です。宗教中毒は、関係中毒の代表的なものと言えるでしょう。宗教中毒患者の代表はパリサイ人たちです。彼らほど神殿儀式や規則に忠実な人々はいませんでした。彼らほど聖書の知識を持っている人はいませんでした。しかし、その彼らが、神殿が指し示す方、イエス様を殺したのです。

私たちも、気をつけないと、彼らのようになってしまう可能性があります。聖書を読み、お祈りをし、献金や奉仕活動をしていながら、心にイエス様を宿していないことがあり得るのです。そして、最後の時になって、「あれもしました、これもしました」と言いながら、イエス様からは、「わたしはお前をまったく知らない」(マタイ7:22、23参照)と言い渡されてしまうような、一方通行の愛しか表すことができないのです。このような、ひとりよがりの、宗教中毒患者にならないように、私たちは、イエス様との深い交わりを創っていきたいと思います。