SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 112

2014年02月21日 | 日記

 

 福音の力を体験せよ 112

皆さん、私たちはこれまで、次のように信じてきました。「義認とは、私たちの罪を覆い隠して、あたかも義人であるかのように見てもらえることだ」と。もちろん、皆がそのように信じたわけではありませんが、大方の人がそのように信じてきました。

多くのクリスチャンが、「ただ、イエス・キリストの完全な義なる生命が私の魂に入り、覆ってくださるのだ。こうして私は、自分のうちに義を取り入れるため、上がったり下がったりしながら、非常な努力を続けるのである」と言います。そして「まさしくこの経験こそが聖化、すなわち分け与えられる義だ」と説明します。また、「罪を犯している間も、外部からの義が私を覆ってくれるか、あるいは満たしてくれる」と言います。

皆さん、それは、み言葉に記されていることとは異なります。このような思想を支持しているみ言葉はありません。覆ってくれる義は私たちの内にある、とみ言葉は述べています。つまりそれは、分け与えられる義が実際に私たちを保護し、覆ってくれることです。

   真のキリスト者の歩むべき道 18

私たちの主であるイエス様は、十字架で釘付けられて死に、弟子ヤコブは剣によって殺され、パウロはローマで首を切られ、また多くの弟子たちが殉教していきました。教会の歴史は、この世からの冷遇と迫害と殉教の歴史ではありませんか? クリスチャンである私たちが、このような教会の歴史を、確かに知りながらも、人々からのけものにされることを恐れているのでしょうか?

キリスト者として十字架を担い、他の人々とは異なった生活をするべきだという言葉にびっくりして、人からののしられるような信仰生活はしたくない、私は平凡な人間だから、平凡な人生を歩ませてくださいと、言うつもりでしょうか? そのような人生は決してありません。キリストと共に歩まない人生は、苦しみと悲しみの連続であり、その最後は永遠の滅亡だけなのです。

神様と共に歩むなら、苦難の中にあっても、希望と平安と喜びに満ちた人生を送れるのです。