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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 97

2014年02月06日 | 日記

  

 福音の力を体験せよ 97

ついに私は、心の底からクリスチャンになることの意味を理解し始めました。それは、「罪に対して死んだ者となり、神にあって生きている者となりなさい」ということでした。皆さんが神にあって生きているなら、神様の愛のみわざを心に成し遂げていただく権利を持つことになります。そのとき皆さんは、敵をも愛するようになるのです。 

パウロは、「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」と言いました(ピリピ4:13)。私たちは、一瞬一瞬、キリストの愛が私たちを主導なさるように願うべきです。すべての重荷をキリストのもとに投げ出して、「ああ主よ、私はこれらすべてのものを、完全に追いやっていただくことを願います」と言うならば、主がその次の段階に着手してくださいます。その時、主が私たちのあらゆる罪を赦し、その結果、あらゆる不義から清めることがおできになります。皆さん、私たちが自分の役割を果たすなら、イエス様はそうすることがおできになります。     

“キリストは、信仰をもって彼のみもとに来るすべての人を、完全に救うことがおできになる。もし彼らがキリストにゆだねるならば、彼らをすべての汚れから清められる。しかし、もし彼らが罪に執着するならば、救われることは不可能となる。キリストの義が、悔い改めていない罪を覆うことはないからである。”(7BC931)

  真のキリスト者の歩むべき道 3

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肝に銘じてほしいのです。十字架のキリスト教は、世のご機嫌をとるためにお世辞を言ったりするようなものではありません。過去の教会は、世から評価されることに最大の努力を傾けたりしませんでした。むしろ、十字架を担って、「天の父なる神様、私たちはただあなたに認められ、あなたに評価されることのみを求めます。あなたのみ心に添わないことが少しでもありませんように、私たちを助けてください」と祈りました。 

教会は、聖書的な原理原則の上に固く立って、世に向かって聖霊のみ声を聞かせなければなりません。そうすれば、世の人々は群れになって教会へ押し寄せてくるでしょう。あなたは適当に世と妥協しながら、現在の生ぬるい状態に引き続きとどまることで満足されるでしょうか。もし、そのように思うのであるならば、私はこのようにお尋ねしたいと思います。あなたは、現在の信仰生活を続けていきさえすれば、信仰が増し加わり、聖霊の豊かな実を結び、キリストの満ち満ちた徳の高さにまで到達し、晴れてキリストに会えると信じますか? 

あなたはそのようになることはできないのです。正直なところ、あなた自身もそのようになれると信じていないのではないでしょうか。それでは、どのようにしたら、生ぬるい信仰状態から抜け出すことができるでしょうか?