赦されない罪とは 第5回
≪真理を拒む罪≫
これは、序論として皆さんに、イエス様の時にどういう状況だったかをお伝えしたくてこういう話をしたんです。本論ではありません。
イエス様の所にやってきた人の中には、二種類の人々がいました。イエス様を信じている人々と、イエス様に対して偏見を持って、揚げ足を取ろうとして、一つの言葉も聞き逃すまいと疑いながら耳を傾けている人々もいました。そのような二つのグループがいたんです。この二つの群れのほかに、イエス様のスタッフたちと、イエス様の家族たちがいました。
マルコ3章の話の、その場の雰囲気はこのようなものでしたが、ここで何の話が出てくるかというと、聖霊を汚す罪について、そのことがこのお話しの中に出てくるのですね。21節を見ると、「身内の者たちはこの事を聞いて」、これはイエス様のお母さん、マタイやルカの福音書を見るとお母さんのマリヤという名前が書いてあります。身内の者がみんな来て、イエス様の教えを聞こうとしていたのかというと、そうではありませんでした。
イエス様の身内の者、親戚たちがやってきて「取押えに出てきた」のです。どうしてイエス様を取り押さえようとしたのでしょうか。「気が狂ったと思ったからである」。イエス様はもう極端だから、聖書に狂ってしまったと思っていたのですね。イエス様の誕生のとき、天使はマリヤに何と言いましたか?あなたは神様の子を生む、その子をイエスと名付けなさいと、天使が言ったのですね。その子は、全ての人を救うようになると、マリヤはそのように天使のお告げを聞いたのです。ベツレヘムで救い主がお生まれになったとき、天使の歌声を聞いた人たちがいたのです。そのことをマリヤは覚えていました。マリヤは、最も尊いイスラエルの母となった人なんですね。本当に恵まれた人だったんです。イエス様は、このマリヤのおなかに宿られたですね。
マリヤは最初のころ、イエス様は私のおなかを借りたけれど、この方は神様の御子だと、そのように信じていたのですけれど、その言動があまりにも当時の人々の宗教観と異なっていたために、気が狂ったと思われて、兄弟、親戚皆集まってイエス様を取り押さえようとしたんですね。頭がおかしくなったので、これ以上しゃべらせてはいけないと家族が思ったのです。皆さん良く聞いて下さいね。
私はある時から、本当に純粋な、妥協していない本当の聖書のメッセージ、一般には人気のない、本当の純粋な御言葉を伝えるようになりました。そうすると、人びとは私を気が狂ったと言うようになったのですね。人々は、イエス様を気が狂ったとしか思わなかったのです。イエス様さえそのようなことを言われるのなら、私たちはどうでしょうか。誰でも信心深く生きようとするなら迫害を受けると聖書に書いてあります(Ⅱテモテ3:12参照)。イエス様は、もう気が狂ったと言われたのです。誰からですか?身内の者から、一番親しい人たちからそう言われたんです。
22節「また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも」、イエス様がおられた場所に、この集まった人びとの中に、スパイがいたんです。パリサイ人や律法学者たちは、「彼はベルゼブルにとりつかれている」。「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言ったんですね。もうどれほどひどいことを言ったんでしょうか。どうして神様の御子を、救い主を、聖書に預言された人を、創造主である方を、このように言うことが出来るのでしょうか。詩篇を読めば、申命記を読めば、旧約聖書を読めば、このお方がどのようなお方か分かるはずなのに、どうしてこれほど軽蔑した言い方をすることが出来たのでしょうか。
ベルゼベルとは何でしょうか。このベルゼベルというのは、偶像の中の一つでした。ベルゼベルというのは悪魔の霊の入ったもの、そういう偶像だったんですね。イエス様が語られた真理、イエス様がなさった奇跡を誰も否定することは出来ませんでした。それを否定することが出来ないので、悪霊の力でそういうことが出来たのだと言ったのですね。このような奇跡は、聖霊か悪霊か、どちらかしかないから、彼らは悪霊だと、そういう風に言ったわけですね。