6、義務は喜びに、服従は楽しみに!
聖書に記録されている戒めや、それに従わなかった人への刑罰について疑問を感じる人もいます。特に旧約聖書には、厳しいと思えるような刑罰が、不服従の人々へ臨みました。では、そのような制裁や刑罰があるから、私たちが神様に従うことが困難になるのでしょうか。このような問題について正しく理解するために、次のような例話を考えたいと思います。
今私が、健康診断を終わって、医者の前にいるとします。医者は私の診断書を見ながら、こう言います。「健康診断の結果、あなたには多くの問題が見つかりました。これからあなたは、私の言うことをきちんと守らなければ、確実に死ぬことになります。あなたの命を救うためには、私が教えることに従って、健康原則を守り規則正しく生活しなければなりません。この指示を毎日しっかり実行しないなら、あなたの残りの生涯はとても危険なものになり、確実に数年以内に死ぬことになるでしょう」。
このように医者から言われたことは、従わなければ死ぬという、いわば死の刑罰がついている厳しい規則であるに違いありません。私がその医者の処方を実行しないなら、命を失うことがあるのです。このような場合に、私はその命令に従うことはとても難しいことでしょうか?もちろんそうではありません。もし医者が、「健康で長生きをしたかったら、酒やタバコ、暴飲暴食をやめ、野菜中心の食事を規則正しく摂るようにしなさい」と言ったとしたら、医者は私にとって最善のアドバイスをしてくれたのだと信じて、どんな不平も言わずにその指示に従うのです。本当に健康で長生きをしたい人は、必ずそれを実行します。従わなければ、やがて厳しい運命が待っているからです。
同じように、クリスチャン生活の中には、神様が私たちの幸福と満足のために与えて下さった戒めに従う喜びがあります。たとえ、従わないものに対する厳しい刑罰が教えられていたとしても、それに目を向けるのではなく、私たちを愛して下さる神様の教えを実行することに喜びを見いだすのです。なぜなら、戒めと原則を下さった方は、私たちのために十字架にかかられるほどに私たちを愛して下さった方だからです。キリストの愛にひとたび感動した心は、どうしたらキリストに喜んでいただけるかだけを考えるようになり、このお方に従うことが人生の最高の目標であり喜びになります。その時、義務は喜びに、服従は楽しみになるのです!