私にも母がおり、皆さんにもいらっしゃることでしょう。この写真はもう20年程前のものです。皆さんのお母さんもそうでしょうが、私の母もいつも冷めたご飯を食べ、夜も寝ずに働いて、自分は食事をしなくても、子供にはいい服を着せ、いい食べ物を与え、子供たちのためにはどんな苦しいこともいとわない人でした。子供たちのために耐え忍ぶ母・・・。親にとって子供より尊いものはありません。
ところで、皆さんにとって、神様はどのような方でしょうか? 私たちを生み、育ててくださった父であり、母です。私たちの本当の両親になります。そして、神様とって、私たちより尊いものは、この宇宙のどこにもありません。
ですからイエス様は、愛する子どもたちのために、裂かれて亡くなられたのです。
「女がその乳のみ子を忘れて その腹の子を あわれまないようなことがあろうか たとい彼らが忘れるようなことがあっても わたしは あなたを忘れることはない」(イザヤ49:15)とおっしゃっています。
たとえ両親が忘れたとしても、私はあなたを忘れることはない!
イエス様は十字架で亡くなられる最後の時まで、私たちの手をにぎろうとされました。 しかしその差し伸べられた救いのみ手に、人々は釘を刺しました。神様が生んでくださった人間が釘を刺したのです。
自分の息子たちがあざ笑いながら、いばらの冠を負わせ、釘を打って刃物で刺したとしても、そんな彼らの手を放されませんでした。
左手で神様の衣の裾をつかみ、右手で罪の深い穴に落ちていく人間を握られました。
つばを吐かれても、その手を離されませんでした。天と地をつなぎとめるために、心臓が破裂するまで苦しみ亡くなられました。
このような親の愛に応じないなら、恩知らずで、人でなしです。皆さん、神様は私たちをそれほど愛しておられるのです。
なぜこの世の中には、多くの痛みと涙と苦しみがあるのでしょうか?
そのたった一つの解決策、それは愛です。
そのようなイエス様と共に歩まれる私たちであることを、切に望みます。 (完)