NHKがサポートする「現地発・明日へブログ」は、被災現地の方からの生のお話が聞ける。また、You Tubeのような生の映像も見られる。今でも、3月11日の地震・津波の瞬間をみることができる。しかし、私くらいの年頃のものから年上になるとパソコンを操ることを遠ざけてきた人が多く、テレビや新聞が情報源となっている。これらの情報はどこか分かりやすく加工してあり、まとまりがないようなものは報道されない。
岩手県陸前高田市の佐々木高志さんのブログの中の「夜、考えること」の章で、柳ケ沢ベースで桜模様のイルミネーションが津波で何も無くなった市街地を照らし続けているのをみて、心強く感じられると書いておられます。もしこの明かりがなかったらと想像すると分かるような気がします。また、東日本全体の被災地を巡っておられる途中で、宮城県多賀城市の“末の松山”に足を延ばしておられます。すぐ近くまでは浸水の跡がありますが、“末の松山 浪越さじ”だったと。
このお話を読んですーっと画面が浮かんできました。百人一首に有名な清原元輔の歌、「契りきな かた身に袖をしぼりつつ 末の松山浪越さじとは」で知られている“末の松山”は、千年前の津波の教訓を今に伝えている標であり、「変わらない愛」の象徴とまで持ち上げられている。
「契りきな」 M50水彩
3・11の津波は近くまで押し寄せていますが末の松山を超えることはなかった。天空には大銀河がいつもの眼差しで地上を見下ろしている。そのイメージが絵になった。生死を分けた自然の力に対して、想定外とうそぶく空しさを思う。
岩手県陸前高田市の佐々木高志さんのブログの中の「夜、考えること」の章で、柳ケ沢ベースで桜模様のイルミネーションが津波で何も無くなった市街地を照らし続けているのをみて、心強く感じられると書いておられます。もしこの明かりがなかったらと想像すると分かるような気がします。また、東日本全体の被災地を巡っておられる途中で、宮城県多賀城市の“末の松山”に足を延ばしておられます。すぐ近くまでは浸水の跡がありますが、“末の松山 浪越さじ”だったと。
このお話を読んですーっと画面が浮かんできました。百人一首に有名な清原元輔の歌、「契りきな かた身に袖をしぼりつつ 末の松山浪越さじとは」で知られている“末の松山”は、千年前の津波の教訓を今に伝えている標であり、「変わらない愛」の象徴とまで持ち上げられている。
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3・11の津波は近くまで押し寄せていますが末の松山を超えることはなかった。天空には大銀河がいつもの眼差しで地上を見下ろしている。そのイメージが絵になった。生死を分けた自然の力に対して、想定外とうそぶく空しさを思う。
コメントありがとうございます。遠い九州にあっても、東日本被災地の生の声や様子を知り、心を寄せたいと思っています。