2014年の何と短かったことか。そう感じる理由は明白で、初体験の連続だったからだ。次から次へ事態が変わり、取り組んでいるうちに一年が終わってしまったのだ。今年のスタートはこんなふうだった。
・1月6日、前月のクリスマスイブを迎える日の午前中、クリニックでの内視鏡検査で胃癌の疑い濃厚との所見が告げられていて、そのときの生検結果が出る日だった。診察室に着席してすぐに、私の顔を正視するわけでもなく、パソコンからちょっと眼を外して、軽く、あっけなく、胃癌と告知された。初体験である。
・1月8日、クリニックから病院に移り、病院としてクリニックの診断を追認する検査があり、その際十二指腸にもリンパ腫と見られる病変が見付かった。そのためさらに広範囲の検査が必要となり、その検査は1月14日、15日の両日と決められてその日は帰宅した。帰ってリンパ腫をネット検索してみるが、どうもよく分からない。初体験の眠れない一夜を過ごす。
・1月15日、昨日から2日間かけて色々な検査が終わり、消化器内科医からはっきりと胃癌と十二指腸悪性リンパ腫の診断が言い渡された。治療方針については外科医と血液内科医の方で決められるのでその日のうちに二人のDrに会うことになった。外科医からは切除の方針、血液内科医からはR-CHOPと称される化学療法の方針が示された。付け足されてDrから告げられたことは、「セカンド・オピニオン」が必要なら早めに申し出てくれということだった。私は診断された病気について何を質問したらよいか分からないでいるのにセカンド・オピニオンの必要性などにはとても考えが及ばなかった。それよりか、つい先日まで健康でいた筈の私が、急に生死に繋がる病を抱えた人になったことが受け入れられずにいる始末だった。二つの癌の告知という衝撃と「治療をどうしますか」と迫られる事態にまた眠れない夜を過ごした。今度は3日間も。うとうとしているとき以外はパソコンにかじりついていた。こんなことはもちろん初体験である。
その後の闘病体験を書き綴るのはよすが、こんな調子で次から次へと衝撃と難問が襲い掛かってきた。治療計画に異存がなければ治療スケジュールを決めたいと言うことになって、2月の初めに胃癌、術後が順調であれば4月からリンパ腫の治療に入ることになった。 クラブやカルチャーをどうするか、妻をどうするか、息子たちにはどう対応させるか、この一年放置すると竹薮になってしまう庭をどうするか、切除以外の治療法はどうなのか、R-CHOP以外の治療法ってどんな方法があるのか、5年生存率ってなんだ、治療が長引いたらどうするか、寛解とか完治ってどういうことか、副作用の苦しさはどのくらいか、治療費の準備をしなくては。頭の中は混乱し始める。
ふと思い出した。研究開発業務に携わっていた現役時代、問題の質こそ違うが次々と問題が発覚して、それを突破しなくてはならない日々があったことを。その頃はたしか「忙しい、忙しい」と連発していたような気がする。仲間には「ここ一番というときに頑張らないでどうする」と、偉そうに言ったものだ。そうだ、私の今のこの事態はその時が再来したのだと思えるようになった。かくして眠れない3日間ですっかり疲れ果てた体に、じんわりと平常心と挑戦心とが生まれてきたようだった。
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「北九州市立美術館からの眺め」 2014.11スケッチ
6月下旬、当初の予定通りの治療で寛解に達したことを告げられ、7月から普通の生活に戻った。庭の手入れなど始めるが、刈り込み挟みを30分もカチャカチャやってると腕に力が入らなくなって、すぐ休憩してしまう始末だった。しかし、生きてる実感が湧いてきて嬉しくて嬉しくて眼が潤んだ。