ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

げってん(その18)-みちのくから来た絵かき-

2007年06月28日 | 随筆
 ・ちょっと仮置きしておいた漬け始めたばかりの梅酒が、健治をもとの木阿弥にしてしまいました。牛の世話をほったらかし、精神病院から救ってくれた恩など忘れてしまったように、酒の自動販売機を蹴ってはうろつきまわる人間に成り下がってしまいました。梁川さんの名前をかたって数日間飲み歩き、倒れているところを梁川さんの回したトラックに、まるでぐにゃぐにゃした荷物を放り投げるように積み込まれ、梁川商店に連れ戻されました。
 ・梁川さんは健治を素っ裸にして、部屋にある着る物すべてを取上げ、家の中に閉じ込めました。それでも健治は黄金バットのように毛布だけをまとい、ふらふらとまた出て行たのです。やがて梁川夫妻は行き倒れ状態の健治を見付けて病院に担ぎ込みますが、酔っ払いを診てくれるところはなく、何軒目かの吉澤病院が脱水状態の健治を救います。眠っている健治の寝顔に引き付けられるものを感じ、少し元気の出た健治に夕食まで与えて。

 ・健治は夢を見ていたのでしょうか。夜中に目を醒まし、牛舎の一角から星空をみあげます。故郷を出て以来、さすらい続けていたこれまでの人生を思い、改めて安堵の胸をなでおろし、つぎに大きな自己嫌悪の思いがこみ上げてきます。精神病院の服を全部新しいものに、夜具も新品を。食事は家族と一緒に。休日には海水浴、ドライブ、バイキング料理の食べくらべなど、楽しみを全て分かち合ってくれた梁川夫妻。再び掛け布団を目のあたりまで引き上げて眠ろうとしますが眠れず、明けきらない朝から起き出して、牛舎の掃除を始めました。
 ・フランス生まれのシャロレーは見事なイエローオーカーの肢体をくねらせて健治に媚びます。ブラッシングしているとその線の美しさにめまいを感じました。「ベベも俺も生きている、ありがたい、描きたい、描いておきたい」、沸きあがる作画意欲を抑えきれず本町の野中響美堂へ走り込んで画材を求め、その日のうちに5枚の絵を描きあげました。7年ぶりの筆とナイフです。

「黄色い牛」1976年長谷川健治作
展覧会でこの絵を求めたのは画家だった。

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