自民党総裁選の報道が、テレビ、新聞とも加熱している。特にテレビは、各局とも朝から夜までワイドショー、ニュースと、4人の候補を入れ替わり立ち代わり出演させ、さながらお祭りムードを醸し出している。
これには、野党側から報道の公正・中立に反するのではないか、という批判がなされている。衆院選や参院選には、マスメディアからこれほど大量の報道、それも候補者の主張が流されることはないからである。マスメディアによる国会議員選挙は、選挙が終わった後の結果について、特番で報道するというやり方で、選挙活動そのものについては、僅かな量しか流さない。だから、野党の主張などは片隅に置かれ、視聴者には微かにしか届かない。野党は、そのことを「公正・中立」に反すると抗議しているのである。
この野党の抗議に対して、マスメディア側の答えが、朝日新聞9月17日の天声人語に載っている。朝日新聞は、「ライバルである自民党の露出の多さを嘆き、テレビのせいにする人がいる」と、立憲の安住淳を批判する。「国会議員の」「発言は脅しのような印象を与える」とまで言うのである。ここには、マスメディアの報道は、どうあるべきかという謙虚さは微塵も見られない。どう報道しようと勝手だ。文句があるか、とも言いたげである。
公職選挙法が適用されない
マスメディア、特にテレビが過熱報道する理由を村上和彦京都芸術大学客員教授 によれば(東洋経済オンライン9月7日)、テレビには、日本民間放送連盟(民放連)による「放送基準」には「政治に関しては公正な立場を守り、一党一派に偏らないように注意する」「 選挙事前運動の疑いがあるものは取り扱わない」という項目があり、「公職選挙」の際には抑制した報道をすることが通例となっているが、 自民党総裁選はその範囲外なので、そこまでの「しばり」がないからだという。
また、「権力闘争」「人事」に視聴者の関心が集まるので、視聴率が取れるのだともいう。
もっともな解説である。恐らくは、それに「今までの首相よりは、少しはいいことをして欲しい」という願望が加わり、テレビ・新聞の総裁選報道を見聞きするのである。
これらのことから考えれば、マスメディア側は、「自民党総裁は日本国首相に直結するので、国民の関心は高い。関心が高いものを報道するのは当然だ」という理屈になり、上記の天声人語の言い分は、それを踏まえてのことだと思われる。
確かに、「国民の関心が高いので、報道する」という理屈は、合理性がある。しかし、ここに問題が残る。それを、どのように報道するかという問題である。
失敗した菅首相のコロナ対策を、どうするのか?
なぜ菅首相が続投を諦めたかと言えば、コロナ対策に失敗したからである。これを疑う者はいないだろう。コロナ対策がうまくいっていれば、辞める必要はない。自民党は、菅首相を前面に立てて、選挙選に臨めばいいのである。失敗したから、「菅では勝てない」という自民党内圧力が大きくなったのである。
それを考えれば、国民の関心は、今差し迫っているコロナ対策を、総裁選候補者はどうするのか、ということだろう。失敗した菅首相のコロナ対策をどう修正していくのか、ということである。
宇都宮市インターパーク倉持呼吸器内科の倉持仁院長が9月19日 に、「最大の争点がコロナ対策になっていないことに唖然とし、暗澹たる思いになります」とtweetした。 まさに、そのとおりである。先進国で、病気になっても、「自宅療養」と称して、まともに治療を受けられない体制は、恐らく日本だけだろう。英国でもデルタ株の影響で陽性者が続出し、「自宅療養」者は多い。しかし、英国の場合、PCR検査が日本の数倍行われているので、無症状の陽性者が大量に発見され、症状を呈さない者が「自宅療養」者とされているのである。要するに、自宅でぴんぴんしているので、治療の用なし、という者が多いのである。
マスメディアが、「国民の関心が高いから」総裁選を報道するというのなら、この差し迫った問題をどうするのか、各候補者に問いただすべきだろう。「自宅療養」者をどうするのか、問いただすべきだろう。
「総裁選の報道」ではなく、「総裁選の宣伝」
しかし、実際の総裁選報道は、各候補者の言いたい放題を伝えているだけである。NHKのサイトを見ても、「争点・主張」とあるが、ただ4人が言っていることを並べているだけである。NHK側の質問などどこにもない。「自宅療養」者をどうするのかなど、どこにもないのである。要するに、候補者の選挙演説をそのまま流しているだけなのである。何のことはない、テレビが、選挙演説会場になっているだけである。
候補者の4人が、マスメディア側から実現性など一切問われることなく、言いたい放題を流す。それは、「総裁選の報道」ではなく、「総裁選の宣伝」である。
しかし、日本のマスメディアが、カネと権力になびくのは、今始まったことではない。2008年の自民党総裁も同様で、日本共産党がNHKに異常な報道を是正すべきと申し入れを行うなど、自民党に優しく、野党に厳しい報道は、以前から行われている。それは、野党が抗議をしたから是正される、というようなものではないのである。それは、マスメディアが置かれている状況がそうさせるからである。マスメディアは、広告主の機嫌を損ねるわけにはいかないし、権力の嫌がらせも受けたくはない。また、視聴率と購買部数を上げるのは至上命令である。
では、野党はどうしたらいいのか? それを上記の天声人語は、(報道は)「野党の低迷を写し出す鏡」であり、「政策を磨き、人びとの声をすくい上げること」が必要だと書いている。しかし、どんなに「政策を磨き、人びとの声をすくい上げ」ても、それを伝えるのは、現状では、マスメディアである。
アメリカのメディアコントロールを批判したノーム・チョムスキーは、メディアを批判はするが、人びとが世界で何が起きているのかを知るのは、やはりメディアからだと言う。SNSがどんなに発展しようとも、もともとの情報の出どころはメディアであり、それを人びとが、ああだこうだと発信するのである。
野党は、どんなに抗議しようとマスメディアを変えることはできない。であるならば、野党の考えるべきは、そのマスメディアにどうやって自分たちの姿を報道させるのか、そこなのである。野党には、その努力があまりにも欠けているのだ。文句を言うだけでは、前進はしないのである。