

余談だが、スペイン語で、エル・ニーニョとは男の子、ラ・ニーニャとは、女の子の意味。エルは、男性名詞の定冠詞、ラは、女性名詞の定冠詞。女性の定冠詞に関しては、フランス語もイタリア語もラ(la)と言う。右から書くアラビア語だと、冠詞は、laの逆のアル(al)しかないし、冠詞が次の単語とピタッと一緒になった感じで書かれてしまう。ところで、ベトナム語だと、laは、ですの意味になる。つまり「A la B.」とは、AはBですの意味。
夏が来ると、小さい時(幼児期、蒲江町)に(5人)家族が一緒になって食べていたミルクセーキを思い出す。暑い中、長兄が自転車で氷を買いに行き、待ちきれない感じで待っていたのを思い出す。自転車の後ろの荷台に積んで帰ったその一つの四角な氷を手動の氷かき器でかき氷にして、それに練乳と砂糖を入れて、それぞれがコップ一杯ずつ飲んでいた。とても美味しくて、その味さえ、今でも思い出せる感じだ。一夏に1~3回ぐらいそんなことがあっただろうか。当時は、それが他の家族とは違って、非常に贅沢なことだと思っていた。
当時、アイスキャンディーは5円で、時々親戚の人から10円のアズキのキャンディーを買ってもらっていて、いつも10円のアズキのキャンディーが食べられたらどんなにいいだろうかと考えていたものだ。
周りは、皆、貧乏だった。父が教員と言えども、家の家計はギリギリで、ずっとツケが溜まっていて、冬のボーナスの時に、やっとそのツケを返していた(長兄も次兄も姉も、大学生の時に、奨学金をもらっていた)。
そんな中でも、周りは子どもだらけで、外で一日中、お古の服を汚しながら暗くなるまで楽しく遊んでいて、親からそれでよく叱られていた。自分の場合、保育園や幼稚園には行かなかった。毎日喧嘩で泣いていて、将来強くなりたい、将来お金持ちになりたい、将来親を楽にさせてあげたい、将来(父の様な学校の)先生になりたいなど、将来の夢ばかりがいつも脳裏にあったことを覚えている。
家には、もちろん、(どの家も)クーラーも扇風機もなかった。