日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

お金の話

2020-05-28 15:01:24 | 生き方
 「お金は手段であって、目的ではない」、と、よく言われます。全くその通りだと思います。お金って、使うタイミングがありますね。
 亡くなる時に、沢山持っていても、あの世に持って行けないので、そのお金の確保で心配して、あるおばあさんが、夜も眠れないとの話、聞いたことがありますし、老後のお金の事で(あげたい人がいなくて)悩んでいる人を実際に知っていますが・・・。
 昔のお金の価値が、今は、嘘みたいに下がっていますね。株価も、昔は、今の2万円が1円だったとか・・・。郵便局に貯金していると、10年後に、倍になっていましたが・・・。昔の教員の父の給料が3万円って話、頭の記憶に残っています。そんな時代に、苦労して使わずに大金を貯金していても、今の時代だと、価値が半減ですね。
 私が小さい時、いつも母は付けで買っていて、ボーナスで、やっと付けをゼロにしていました。お金のゆとり何て、全然なくて、兄二人も、姉も、大学に行くのに、奨学金をもらっていました(私は、幸いに、もらわなくてすみましたが)。
 高度成長期の頃は、周りは、殆どの人が貧乏で、肉体的仕事がいつでもある感じで、いざと言う時、力仕事をして、稼いでいましたね。つまり、身体が健康であれば、お金がなくても、その時、稼げばいい、そんな感じでした(←江戸時代の江戸の町がそうだったみたいですが)。
 お金が沢山あった方が幸せになれるでしょうか?ブータンの国のように、世界で最も貧しいと言われている国の人達、確かに、GDP、世界で最低ですが、幸せ度、最高ですね。日本は、ホント、幸せ度、低い国で有名ですが、何故でしょうか?!
 お金を残すのではなく、お金を生み出す様にしておくと、いいですね。それは、教育ですね。人の教育ですね。子どもが晩年になった時、親は、いませんから。会社だって、創設者の社長がいつまでも頑張れませんから。会社は一代で大きくなったのに、その社長の子どもの(跡を継がせる)教育には、失敗して、一代限りって事例も、周りにしばしば目にします。
 お金は、やはり、自分なりに苦労して、真面目に稼ぐものだと思います。楽をして得たり、不法に得たお金は、お金でなく、単なる銭に過ぎません。銭は、直ぐに消えます。汗水垂らして得たお金は、その時に、一番価値があると思われるモノにまず、使うべきです。そして、亡くなる時に、借金を残さないで、上手に使い切る感じになることが理想ではないかと、思っています。「子孫に美田を残すな!」、名言ですね。私の両親は、お金の使い方、名人だったと思います。
 政治家も、事業家も、教育家も、一代で事足れり、どうしても、子どもが跡を継ぎたいと言って、その能力があれば、継いでもいいのでしょうが・・・。

*写真は、イラクのフセイン時代に使われていたもの、ドバイの旅行で、勇気を出して、片言のアラビア語を使って、買ったものです。
 右から読んで、25ディナール(ハムサ(5)ワ(と)イスルーナ(20)ディナール)と、書いています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもに学ぶ。

2020-05-28 12:09:01 | 生き方
「子どもに学ぶ!」
 子どもは、いつもニコニコ。特に、小さい子は、よく笑います。(←親がよく笑うと、もっと笑いますが)
 子どもは、よく動きます。子どもにとっては、じっとすること、苦手ですね。
 世の中、自分中心で動いていると思っている感じですが・・・。
 よく笑って、よく動くって、免疫学的には、いいですね。
 平成〇〇年〇月23日(水)の午後、8ヶ月の男児を連れて、母親が来ました。まだ、小学校に入る前の元気な(健康な)男の子を二人一緒に連れて来ての受診でした。
 で、その二人が、我が者顔に、小児科の診察室、処置室、検査室の3つの部屋を走り回り、小児科に置いてあるおもちゃで大きく鳴らして、大きな声を上げながら、遊んでいました。とても楽しそうで。母親、困った顔して、「いいかげんにしなさい!」何て言って、小さな子の診察中、しばしば、叱っていましたが・・・。
 前の(天草での)職場では、小児科の看護師さん達が、診察前から緊張して構える親子連れもありました。小さな女の子を母親が連れて、元気に走り回る男の兄弟3人を連れて来ての診察で、その男の子達の動きが気になって、落ち着いて診察が出来ません。その内の一人は、ホワイトボードに書いている大切な内容を、勝手にラーフルで消したりして、看護師さん達を慌てさせていましたが・・・。
 で、思いましたが、子どもは、遊びの天才ですね。どんな空間でも、そこで、フルに楽しく遊べます。紙一枚あれば、おもちゃ一つあれば、友達がいれば、しっかりと、遊べます。その点、大人は、それがなかなか出来ませんね。
 子どもの発想も凄いですね。3歳の子どもが、祖母が、補聴器を取り出すと、「ばあちゃん、ロボットやったん・・・」と言ったり、入れ歯を外すと、「ばあちゃん、今度、目を取り出して・・・」と言ったり、近くの山に雪が積もったのを見て、「あっ、富士山だ!」などと言ったりして・・・。
 私の息子が小さい時、近くに行くのに、特急車でなく、ローカル線で行くと、「ママ、いつものよりもこの電車、速いね。直ぐ着く・・・」何て言っていましたが・・・。
 ホント、子どもの周りを見る目は、大人からは、とても想像できない世界ですね。夫婦げんかを子どもの前でする何て、子どもにとっては、大変なショックですね。
 子を持って知る親の恩、子を持って、いい大人に成長できる、ナルホドと思います。
 子どもから学ぶこと、多いですね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

71歳の誕生日

2020-05-28 09:23:56 | 生き方
 今日(令和2年5月28日)、満71歳になりました。
 私は、昭和24年(西暦1949年)5月28日(土)、大分市で生まれました。その時、母の祖母が遠くから来て、(遠方から来たので体力的に無理だったのでしょう)着くと同時に、亡くなり、私は、おばあさんの生まれ変わり何て言われていた様ですが・・・。
 それから、まる70年が過ぎ、71歳にもなりました。多くの人に助けられて、何とか運良く、ここまで元気に生きて来れています。感謝感謝です。
 まる70年も生きれば、いろんな事がありました。職業柄、子どもの死に何度も立ち会いました。幸いなことに、郷里の「西田救急病院」後の、8年半余の「たはら小児科医院」開業時には、死亡診断診断書、書くことなく終えました。
 又、次の福岡の「高木病院」でも、大分市の「へつぎ病院」でも、12年近くいた「上天草市立上天草総合病院」でも、それに、延岡市の「井上産婦人科病院」でも、(上天草総合病院で死亡して外来に来院した子以外)死亡診断書を書くことなく、終わりました。
 医療訴訟は、当初は、それなりに弁護士を通じて訴えられた経験もしましたが、それも今思えば、貴重な経験で、それ以後、患者さんに恵まれて、無事に過ごすことが出来ました。感謝感謝感謝です。
 それに、長い医療生活で、新生児を含む小児科以外の科を診なくて済んだのも、幸いでした。
 残り少ない人生、1日1日、有意義に過ごしたいと思っています。それが、育ててくれた両親への一番の供養だと思っています。
 出来れば、父(写真)が亡くなった84歳まで(更には、母が亡くなった94歳まで)生きれれば、本望です。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする