日本の心・さいき

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ヴァイオリン

2021-06-30 08:46:36 | エッセイ
  「バイオリン」

 「相対性理論」・・・多くの人がその本質を知りたいと願っていますが・・・その関係の本を、72歳になって読んでも、何か、ピンと来ないですね・・・。
 NHK教育で、「100分de名著」で、「アインシュタイン・相対性理論」が4回に渡ってかって放映されました。やはり、分かりませんでしたが・・・前よりは、少しは前進したかなと思っていますが・・・?!(←今も、それを消さずに、ビデオでいつでも見れる様にしていますが)
 望遠鏡で空を見て、ずっと先まで見えるとすると、その先には、後ろ頭が見える、それが宇宙の姿だとか・・・この世には、光の速度以上のものは存在しないとか・・・光の速度は、常に一定との話は、高校生の時にも、何となく知っていましたが・・・ここから殆ど(相対性理論の理解が)進むことなく、経過していました・・・。
 アインシュタインは、目立たない子どもで、落ちこぼれで、「のろま」と言われ、からかわれていました。ギムナジウムに入ったのに、学校の勉強が嫌で(特に、暗記科目が苦手で)、15歳の時に退学してしまいます。その後、名門チューリッヒ連邦工科大学を受験しましたが、(英語が出来なくて・・・)失敗し、アーラウの州立学校に入学することになります。
 大学では、講義には殆ど出ず、物理実験室で実験ばかりしていて、全般的な成績は、「中の上」でした。卒業後も、大学に残りたかったのですが、物理学部長に嫌われていたので、それが出来なく、家庭教師のアルバイトや臨時の代理教員などをしていました。学生時代から付き合っていたミレーバーと結婚しました。知人の口利きで、ベルンのスイス特許庁の三級技術専門職として働くことになりました。
 就職して3年目の1905年3月に「光量子仮説」の論文、更に1カ月後に「ブラウン運動」、そして、同年6月に「特殊相対性理論」を発表しています。(その後、1915年~16年にかけて、長年の宿願の「一般相対性理論」を書き上げています)
 アインシュタインは、特許局の仕事が如何に素晴らしいかを、以下の様に友達に書いて勧めています・・・→
 「うまくすれば、君を特許局の職員の中に押し込むことが出来るかも知れません。そうしたら君は来てくれますか?考えてもみたまえ、8時間労働の他に毎日ひまな時間が8時間残り、そのうえ日曜日があるんですよ・・・(←しかも、この手紙、アインシュタインの理論が大反響を呼び起こしている最中のことですが!)」
 アインシュタインは、6歳からバイオリンを習い、一生手放しませんでした。苦闘の連続とも言えるアインシュタインの探求生活で、いつも彼を支えてくれたのは、そのバイオリンでした。

*https://www.youtube.com/watch?v=hE2Dxje80AI(←春の海)

(令和3年6月30日、少し修正して、再掲)


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