(佐伯市好きで、佐伯市でのトライアスロンにも参加していて、何と4回も来佐している)ジョンさんと(副市長の旦那さんの)トニーさんの二人が、午後同行してくれた。
取り敢えず、宿泊先のバックパッカーズに行った。リンダと言う気さくな奥さんが迎えてくれて、ピーターと言う旦那さんはその時不在であったが、パンディーと言うボクサー犬の1歳のメス犬がいて(これがとてもかわいい!)、トワイラと言う小学生の息子もいるとのこと。荷物をそこに預けたまま、直ぐに、ジョンさんの家に招待された。
ジョンさん、とてつもなく広い農場の持ち主で、スポーツマンで、トニーさんと家内と3人であちこち見せたもらった(彼の書いた小雑誌までも頂いた)。佐伯の人がジョンさんの畑に植えた木も、それぞれの木の下にその名前が書かれていて、大きくなっていた。
いろんな木や花があり、鳥も沢山いて、カンガルーの小さなタイプのワラビーもいた。(こんな所に時々来れば、心が浄化されるだろうなあ・・・)
まる2年で自分の背丈以上に大きくなる木もあり、家内は、とても感激していて、旅の疲れも吹っ飛んだみたいだった。
トニーさんが、宿泊先まで見送ってくれた。その後、リンダさんに2週間分の宿泊費を払い(4週間で10万円だったが、2週間ずつ払った。周りには、高級ホテルが結構あったが、この(家庭的な)グラッドストーンバックパッカーズが断トツ一番安いと思われる)。
その日(5月13日)の午後6時に、ウェンディーさんの旦那さんのハワードさんが迎えに来てくれて、ウェンディーさんの自宅に行った。そこにいる友好協会の人達を中心に、歓迎会をして頂いた。
その場に日本人の女性が2人いて、2人とも、旦那さんはオーストラリアの人。女性の1人は、○ロ○さんと言い、オーストラリアの大学を卒業し、3つの学校で日本語を教えている先生。も1人の女性は、○キさんと言って、旦那さんは、現地で体育の先生をしている。
○キさんの旦那さんは、日本に8年間もいて(福島県にいいて、福島弁も得意?)、その時に太鼓チームに入って(○キさんも入っていて)太鼓を覚えている。彼が教えている高校生の数人で太鼓チームをこのグラッドストーンで作ろうとしている矢先とのこと(既に申請をして、進行中とのこと)。驚いたのは、彼が、日本の和太鼓を自分なりに創っていること。インターネットにちゃんと創り方が出ているよと言う。(スゴイなあ、自分が教えるサウス校には、自分が困らない様にと、前もって彼が作ったバチと練習用のタイヤを用意しているとのこと、・・・ホント、有難い!!)
やはり日本からオーストラリアに太鼓を持ってくる時、ブリスベンで止められて、放射線を浴びせられたとのこと。で、別にそれで壊れるわけじゃないから、大丈夫ですよと言われて、一安心。
彼は、高校生のみに教えようとしているが、まだ、教えた経験は全くないとのことで、奥さんの○キさんも笛を吹かれるとのこと(挑戦しているが、なかなかいい音が出ないと言われる。彼は、○キが笛をもっと練習してくれるといいんですがと言われた。)
会の終わりに、「さくら」の曲を、自分なりに3通りの方法で吹いて終わった。上手く吹けた。美味しかった。楽しかった。安心した。多くのいい人ばかりに会えて、自分は運の強い人間だと思った。
帰って、トランクを開けて整理していると、見慣れないものがある。何と、あの検閲官が探していたIDカードが2枚重なって底に入っているではないか!(後日、○ロ○さんに預けて、事なきを得た)。
万事順調かな、しかし、出迎えの空港でウェンディーさんからもらった予定表を改めて詳細に見て、びっくした。
14日(木)は、トリニティー校で演奏、15日(金)は、ベナラビー校とサウス校で演奏、18日(月)は、ベナラビー校とブローレン校とサウス校で演奏、19日(火)は、聖ジョン校で演奏、20日(水)は、シャネル校で演奏、21日(木)は、聖ステファン校(この日、クイーンズランドの公的な学校は、ストライキで、その為か予定の○○校がこちらの学校に変更になった様だった?)、22日(金)は、ベナラビー校とサウス校と書かれていた。
エェ!、・・・こんな感じで、最後まで行く訳ないだろうなあと思ったが(それが現実となってしまったが・・・?!)。
(写真は、ウェンティーさんが歓迎会で用意されたケーキで、taharaと書かれていて、私がナイフで切らせてもらった)
取り敢えず、宿泊先のバックパッカーズに行った。リンダと言う気さくな奥さんが迎えてくれて、ピーターと言う旦那さんはその時不在であったが、パンディーと言うボクサー犬の1歳のメス犬がいて(これがとてもかわいい!)、トワイラと言う小学生の息子もいるとのこと。荷物をそこに預けたまま、直ぐに、ジョンさんの家に招待された。
ジョンさん、とてつもなく広い農場の持ち主で、スポーツマンで、トニーさんと家内と3人であちこち見せたもらった(彼の書いた小雑誌までも頂いた)。佐伯の人がジョンさんの畑に植えた木も、それぞれの木の下にその名前が書かれていて、大きくなっていた。
いろんな木や花があり、鳥も沢山いて、カンガルーの小さなタイプのワラビーもいた。(こんな所に時々来れば、心が浄化されるだろうなあ・・・)
まる2年で自分の背丈以上に大きくなる木もあり、家内は、とても感激していて、旅の疲れも吹っ飛んだみたいだった。
トニーさんが、宿泊先まで見送ってくれた。その後、リンダさんに2週間分の宿泊費を払い(4週間で10万円だったが、2週間ずつ払った。周りには、高級ホテルが結構あったが、この(家庭的な)グラッドストーンバックパッカーズが断トツ一番安いと思われる)。
その日(5月13日)の午後6時に、ウェンディーさんの旦那さんのハワードさんが迎えに来てくれて、ウェンディーさんの自宅に行った。そこにいる友好協会の人達を中心に、歓迎会をして頂いた。
その場に日本人の女性が2人いて、2人とも、旦那さんはオーストラリアの人。女性の1人は、○ロ○さんと言い、オーストラリアの大学を卒業し、3つの学校で日本語を教えている先生。も1人の女性は、○キさんと言って、旦那さんは、現地で体育の先生をしている。
○キさんの旦那さんは、日本に8年間もいて(福島県にいいて、福島弁も得意?)、その時に太鼓チームに入って(○キさんも入っていて)太鼓を覚えている。彼が教えている高校生の数人で太鼓チームをこのグラッドストーンで作ろうとしている矢先とのこと(既に申請をして、進行中とのこと)。驚いたのは、彼が、日本の和太鼓を自分なりに創っていること。インターネットにちゃんと創り方が出ているよと言う。(スゴイなあ、自分が教えるサウス校には、自分が困らない様にと、前もって彼が作ったバチと練習用のタイヤを用意しているとのこと、・・・ホント、有難い!!)
やはり日本からオーストラリアに太鼓を持ってくる時、ブリスベンで止められて、放射線を浴びせられたとのこと。で、別にそれで壊れるわけじゃないから、大丈夫ですよと言われて、一安心。
彼は、高校生のみに教えようとしているが、まだ、教えた経験は全くないとのことで、奥さんの○キさんも笛を吹かれるとのこと(挑戦しているが、なかなかいい音が出ないと言われる。彼は、○キが笛をもっと練習してくれるといいんですがと言われた。)
会の終わりに、「さくら」の曲を、自分なりに3通りの方法で吹いて終わった。上手く吹けた。美味しかった。楽しかった。安心した。多くのいい人ばかりに会えて、自分は運の強い人間だと思った。
帰って、トランクを開けて整理していると、見慣れないものがある。何と、あの検閲官が探していたIDカードが2枚重なって底に入っているではないか!(後日、○ロ○さんに預けて、事なきを得た)。
万事順調かな、しかし、出迎えの空港でウェンディーさんからもらった予定表を改めて詳細に見て、びっくした。
14日(木)は、トリニティー校で演奏、15日(金)は、ベナラビー校とサウス校で演奏、18日(月)は、ベナラビー校とブローレン校とサウス校で演奏、19日(火)は、聖ジョン校で演奏、20日(水)は、シャネル校で演奏、21日(木)は、聖ステファン校(この日、クイーンズランドの公的な学校は、ストライキで、その為か予定の○○校がこちらの学校に変更になった様だった?)、22日(金)は、ベナラビー校とサウス校と書かれていた。
エェ!、・・・こんな感じで、最後まで行く訳ないだろうなあと思ったが(それが現実となってしまったが・・・?!)。
(写真は、ウェンティーさんが歓迎会で用意されたケーキで、taharaと書かれていて、私がナイフで切らせてもらった)