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為になるかも知れない本(その35)

2007-03-17 08:36:03 | Weblog
以下の文章は、三学期の終わりに、鹿児島医学部新聞に掲載された内容である(執筆者不明)。
 専門1年生
 「光陰矢のごとし」、全くこの1年を振り返って見ると、この言葉の通りです。過ぎし1年前の今頃は、長かりし教養2年間に別れを告ぐべく、一人惜別の情に堪えかねて、酒で心を紛らし、月光に照らされた春の山野に想いを馳ながら、春霞の中でこれから繰り広げられんとする新しき青春ドラマにこの2年間の反動でか、期待と夢とで胸ははちきれんばかりであった。そして無事、芝居の幕は切って落とされた。後は、思う存分舞台の上で踊りまくるだけである。
 しかし、人生意の如く行かないのが常。最初のステップが自己の体力的限界を越え着地に失敗大傷。あとは人生真暗闇か。それからというもの、悪戦苦闘、五里霧中、手探りの生活始まる。それを他人事と知ってか知らないでか、監督は矢継ぎ早に又も難問を要求。これぞ師弟の仲かと諦めて、かような障害を如何に潜り抜かんかと三日三晩不眠不休で思案す。思案に思案を重ねた挙げ句、過労祟りて病床に伏す。これぞ医者の不養生。ここで幕。
 兎に角この一年超音速で飛んで来た思い。苦しい事のみかというとさにあらず。誰が決めたか一年365日、自然の風物移り行き、人の心も又然り。昨日、小指と小指をからませて、貴女と見ていた星の夜。今日、一人の旅の寂しさは、知っていたのさ初めから。これも人格形成への一里塚。
 以上総論、次各論、自分達の不勉強もさることながら、講義には魅力有るものと、時間数が足りるように、ただそれだけを至上目的として出席する講義あり、それだけかというとさにあらず。実習設備の不良不足、指導教官の不足と問題は後を絶たない。そこに石油危機なる怪物出現、学生は無い金吸い取られ金欠病瀕死の状態、「早く家族の人を呼びなさい」云々。学生は食わねど高楊枝。
 兎に角揺れに揺れた激動の一年間でした。でもいかなる時代社会或いは状態にあろうとも、常に長期展望に立つ、広い視野からの発想と行動が必要。
 何かくだらない事を述べて来ましたが、やっと学問の面白さが分かりかけて来たような気持ちになりかけて毎日を楽しく過ごしている今日この頃です。

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